内田有作はなぜ東映を首になったのか

内田有作

 東映の拝金主義的体質は別に最近になって始まったことではない。
 ということをこのブログでもさんざん書いてきたわけだが、2010年ごろから仮面ライダーやスーパー戦隊の映画の粗製濫造が限度を超え、ファンの批判的な目が向きはじめただけのことである。「昔は良かった」というわけではない。本当は大切にすべきものを、目先の利益優先で使い捨てにする。昔からそうだったし、そして厄介なことに、そのような社風が『仮面ライダー』のような大ヒット作を作る原動力にもなっていたのだから、一概に否定することもできない。問題なのは、時代が変わって昔からのやり方が通用しなくなり、近年は大ヒット作も作れなくなったのに、社風は依然として昔のままだということである。
 「本当は大切にすべきもの」。その筆頭はなんといっても人材であろう。
 『東映ヒーローMAX』Vol.40(2012年3月発行)は、東映生田スタジオの所長を務めた内田有作氏の追悼ということで特集が組まれている。
 その記事によれば、厳しい条件の下で予算やスケジュールを管理する制作者としての手腕、映画界での幅広い人脈、スタッフを惹きつける素晴らしい人柄。『仮面ライダー』の大ヒットは内田所長の手柄に帰す部分が非常に大きいということになっている。
 そんな有能な人が、なんで生田スタジオの赤字の責任をたった一人に押しつけられる形で所長を解任されたりしたのか。
 内田氏はウィキペディアに項目もないし、ネットで調べてもよく分からない。退職金も出なかったというのは本当だろうか? 東映を辞めた後の晩年の人生も、映画人として満足のいくものだったとは思えない。
 しかしこの記事を読んで一番不気味に感じたことは、内田氏に対する東映の仕打ちに誰一人憤るわけでもなく、まるで「男の生きざま」みたいな美談仕立てにしていることである。一体これのどこが美談なのか。それとも労働者の仲間を裏切ってスト破りした男の末路はこんなものなのだろうか?
 『東映ヒーローMAX』なんて雑誌は、東映の大本営みたいな雑誌である。そんな雑誌を読んで、東映という会社の闇の深さを印象づけられるというのも妙なものだ。別に私はこれ以上追及する気はないんだけど。

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