ジェットマンは「仕方なく選ばれた戦士」か?

 勧善懲悪で何が悪いのか?・に続いて戦隊の分類について再論。

 私、ずーっと昔から、こんな日を待っていましたの。退屈な毎日から飛び立てる日を。あぁ、感激ですわ。私が地球を救うなんて。私、燃えます!
 『鳥人戦隊ジェットマン』第一話の、香が戦士に誘われるシーンからなんだが、しかしこれよく考えると、すごいセリフだなあ。バイラムの侵略を前にして、地球はシロートによる部隊で立ち向かわなければならなくなった。まさに絶体絶命の危機。それを喜ぶのかこの人は。いや香だけではなくて、ジェットマンってなんか全員楽しそうだ。客観的に見ればこれほど絶望的な状況はないというのに。
 確かに知力体力精神力使命感他いろいろ、スカイフォースの正規の隊員に比べて劣っているというのは事実である。しかしそれを戦士として劣っていることに直結させるのは適当ではない。シロートにはシロートなりの戦い方というものがあって、それは必ずしも正規隊員に比べて劣っているとは言えないはずだ。という観点からはネオジェットマンの存在というのも実はかなり作品の奥深いところを突いていたのではなかったか。
 もっとも『ジェットマン』という作品自体、この点を深く掘り下げていたとは必ずしも言いがたい。井上敏樹氏は戦隊のメインライターを以後一度も務めることはなかったのは残念ではあるが、その衣鉢を継いだのは間違いなく小林靖子氏である。『星獣戦隊ギンガマン』のリョウマは地球の平和を守ることよりも、「兄を超えたい」という自分の個人的な願いの方が大事だと思っていた節がある。そういえばこいつも補欠繰り上げだった。『未来戦隊タイムレンジャー』の竜也もまた家名の束縛から逃れたいという思いから、戦士になったんだっけ。
 小林靖子が好きだという人も嫌いだという人も、多分同じ所に引っかかっているのではあるまいか。地球の平和のことよりも、自分のことのほうが大事だという。でも、目的に向かって直線よりも迂回路を行くほうが確実に辿りつけるという場合もあるはずだ。迂回路は、直線で行けない場合に限って仕方なく選ぶ道、とは限らない。
『カーレンジャー』の最初のつまずきに続く

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