スーパー戦隊シリーズと日本サッカーの弱さ

 サッカーファンに見せたら激怒すること間違いなしなのが、『救急戦隊ゴーゴーファイブ』第10話「誇りのイエロー」。
 「こんなことだから日本のサッカーはいつまでたっても世界で通用しないんだ!」とか言われそうだ。
 サッカーに限らず、集団スポーツの選手にとって協調性というのはとても大切なものである。だがそれと同時に「オレが決めてやる」という我の強さもまた大事だ。勝つためには両方の要素が必要だし、それをどうやって折り合いをつけるかは、永遠の課題である。ところが日本においては、とにかくサッカーというのはパスのスポーツであると、協調性だけが大事だと思われてきた。日本のサッカーが世界ではばたくためには、このままではよくない、もっとわがままな選手が出てこなくてはならない。1999年の時点では、すでにそのような認識が行き渡っていたはずだ。
 しかしその一方で少年サッカーの現場では、相も変わらずサッカーは「パスのスポーツ」であって、協調性だけが大事だと思われ、指導者は少年たちに対して戦術に対して従順であることを押し付けることしか考えていない、などという話もよく聞く。「誇りのイエロー」もまたそんな、協調性バンザイの話。
 これじゃあいつまでたっても日本のサッカーが強くならないわけだ。
 やっぱり日本人には野球のほうが向いてるのだろうか。打順がまわってくれば、誰かに譲るということができないのだから。

 『超電子バイオマン』(1984年)でピンクファイブ・桂木ひかるとして出演した牧野美千子氏が、最近雑誌のインタビューに答えて(女は二人いる関係上)「君は弱くていいから」とか言われていたということをしゃべっていた。
 弱くていいわけないって。
 戦隊シリーズは、五人が力をあわせて戦うので、一人一人は弱くてもいい、などという考えがあるが、やっぱりこういうのは一人一人が強くないと話がもたない部分がある。(翌年の『電撃戦隊チェンジマン』で女が二人とも強いのは、やはりその反省があったようにも見える。)
 『秘密戦隊ゴレンジャー』の生みの親の一人である平山亨プロデューサーは、「最近の戦隊は、群れなければ何もできない者の集まりになってしまった」と批判していた。これは90年代の頃の発言だが、今の戦隊を見たら、なんて言うだろうか。
 最近の若い戦隊ファンは「それのどこがいけないの?」と思うかもしれない。

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