平成仮面ライダーに「品性」はあるのか。
テレビの昭和ライダーではこうした主題を十分展開できませんでしたが、それでも多くの視聴者が『普通のヒーロー番組とは違う、暗い雰囲気の話』と感じていた。この本質をおさえれば、表面上は荒唐無稽でも現実との接点を保った仮面ライダーをつくれると考えています。(白倉伸一郎インタビュー「仮面ライダーの敵」 『朝日新聞』2013.4.12)
仮面ライダーやスーパー戦隊を作ったプロデューサーのインタビューを読んでいると、首を傾げたくなることがよくある。自分の作っている作品をやたらと高尚・高級なものとして持ち上げたり、自分の手柄を大きく見せようとしたり。もっとも、インタビューとは元々そういうものかもしれない。だから、仮面ライダーは初期の怪奇路線をやめて雰囲気を明るくしてから人気が出たのが真相だ、とかそういう突っ込みはやらない。問題にしたいのは「仮面ライダーは普通のヒーロー番組とは違う」という発言の方。
平山亨氏や吉川進氏や鈴木武幸氏など、昔の東映のプロデューサーも、おかしな発言をすることはある。しかしこういう、自分の作っている作品だけは他のジャリ番とは違うんだ、みたいなことを言うことはなかった。本心ではどう思っていたかは知らない。しかし世間から見ればみんな同じようなものである。そんなみっともない発言はするまいという意識は共有されていた。
この手の発言が増えたのは、平成仮面ライダーからである。高寺成紀氏などは『語ろう!クウガ・アギト・龍騎』(2013年)において、自分が入社した当時の東映特撮がいかにチャチな子供だましであり、それに比べて自分の作った『クウガ』は……なんてことを延々としゃべっていた。過去の栄光にすがる以外にない人だから、気持ちは分からんでもない。しかし取締役にまで出世したはずの白倉伸一郎氏までこんな発言をするとは。良くも悪くも冷徹なビジネスマンだと思われている人だが、意外とコンプレックス持ちなのだろうか。
私は戦隊にしか興味がないので、平成仮面ライダーは見たことがない。見たほうがいいのだろうか、と時々思うことはある。しかし作ってる連中がこんなんばっかりじゃあ、下品さが伝染りそうな気がしてどうにも踏んぎりがつかない。なぜかスーパー戦隊を担当したプロデューサーには、こういうこと言う人はあんまりいない。何が違うのだろうか。
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Comments
東映の昔のヒーローをリメイクして敵とかして登場させるのは好きじゃないのですが。
唯一、好意的に感じるのがイナズマンです。
何故、石ノ森先生の漫画版が好きだったっていう気持ちが伝わって来るからです。
>なおさん
『大戦Z』のイナズマンのデザインって、石ノ森章太郎のマンガ版準拠なんでしたっけ。
それにしても、ヒーロー大集合映画というのも、『忠臣蔵桜花の巻菊花の巻』といったような、昔東映時代劇が年に一回か二回か、豪華キャストだけを売りにする映画を「オールスター」と称して作っていた、その伝統を引き継いでいるように思えます。悪い意味で。
白倉氏は、ジェットマンからダイレンジャーまでサブプロデューサーとして参加していますよね。僕はその三作目である『ダイレンジャー』が、最も白倉氏の意向が強く反映されている作品であるように思います。
『ダイレンジャー』の最終回は、実は全ての黒幕であったかに思われたシャダムも実は泥人形であり、平和が戻ったかに見えた世界にも50年後に再び怪人が現れ、亮たちの孫がダイレンジャーに変身して戦うという話でした。
あまり指摘されているのを見かけませんが、これはどんな終わり方であっても1年という決められた期間で作品が終了し、そして制作側と視聴者がある限り「正義」と「悪」が創りだされ、再び戦いが始まる・・・というシリーズ物の特撮作品の宿命を揶揄した、メタ的要素を含んだものだと捉えることが出来ないでしょうか。
白倉氏は当時から過去の特撮作品の在り方に疑問を抱いていて、3年後にメインを担当した『超光戦士シャンゼリオン』の企画書では
「まなじりを決して『正義』だ『愛』だというお題目を唱えたり、いっぱい武器を駆使して敵を倒すだけの兵士だったり、そんな人間に子供たちが憧れるわけがないし、われわれも子供たちがそんな人間になってほしくはありません。」
と、名指しは避けつつも明らかに過去の東映ヒーローを批判した文章を書いていました。白倉氏は過去の東映ヒーローMAXで『ダイレンジャー』が最も面白い戦隊作品であると述べていますし、『シャンゼリオン』の最終回は『ダイレンジャー』と方向は違えど共に特撮作品での衝撃的な最終回として挙げられる事が多いです。『ダイレンジャー』はどうも鈴木武幸氏より白倉氏の意向が反映された作品であるような気がしてならないのです。
えのさんが90年代の戦隊について語ることは普段あまりないように思うのですが、この点についてはどう思われますか。
>桃木さん
白倉氏ってそんな発言もあるんですか。『ダイレンジャー』が好きだと。
じゃあ、思いっきり偏見まみれの、戦隊を見下すような発言をしていることについて、真意を聞いてみたいです(BPOで『ディケイド』の終わり方が問題になった時とか)。
白倉氏の性格から考えると、『ダイレンジャー』のチーフPが白倉氏ということはないと思いますよ。もしそうなら、そういうふうに言ってるはずですから。
ダイレンやシャンゼの最終回が衝撃的だとか、平成ライダーの革新性とかに私が全然賛成できないのは理由があって、1996年の『新世紀エヴァンゲリオン』ブームをリアルタイムで体験しているからなのです。
白倉氏も庵野秀明氏も言ってることはほぼ同じ。というか、「巨大な悪の不在」という問題は、1990年代前半にアニメや特撮を作っていた人達すべてに共通する問題意識だったと思います。庵野氏はそこを起点に、普段アニメなんか全然見ない人をも巻き込んで「社会現象」と呼ばれるほどの大ヒット作を生み出す。一方で、ほぼ同じ問題意識を持って(ここ重要)作品制作に取り組みながら、子どもとオタク以外の層になかなか広がりを持てない特撮。この差はどこから来ているのか、割と本気で悩んでいます。そういう意味から、ジュウ・ダイ・カク・オー、このへんの戦隊は私は全然評価する気になれないのですよ。
しかしこういう言い方、エヴァの当時の熱狂を体験していない人に通じるのだろうか。パイプ椅子に座って自問自答などという、チープな映像に、テレビの前でボロボロ泣きながら見入っていたとかいう話は……。
東映は頭数のあまりの多さがもたらす弊害を聖闘士星矢 冥王ハーデス編でも見て学ぶべきだと思う。
ハーデスの配下、冥闘士は全部で108いるが、
雑魚同然の扱いでまとめて倒されるとうのが少なくなく、頭数を増やせば、各々の個性が発揮しづらくなくなるという良い見本ではないか。
>なおさん
難しいでしょうね。
こういうやり方がウケた、となれば、ずっとそういうことばかり続ける。東映の伝統的な社風ですからねえ。時代劇にしろヤクザ映画にしろ、そうやってジャンルを興しては潰すの繰り返し。今さら社の体質を変えるなどというのは……。
管理人さんには、是非龍騎を見てほしいです。
批判であれ賛美であれ、あれを見ないことには平成ライダーは何も語れないでしょう
今『アギト』を見ているので、それが終われば。しかし『龍騎」を見終わったら見終わったで今度は『555』も見なくてはとなって、永久に続きそうな。
『クウガ』を見始めるときに感じた予感が……。
とても興味深く拝読しました。
平成ライダーは面白いです。求められている「品性」なるものの正体は判然としませんが、少なくとも白倉は内省をもって作品づくりに取り組んでいる。氏のディケイド放送終了当時の自己弁護、擁護、開き直りは詭弁そのもので全く賛同できなかったですが、むしろ常に仮面ライダーの制作のありようについて矢面に立ち、信条を表明する広報的な役目を担い続けているのは、世間に対しての窓口となる人間が白倉以外に誰もいないと言う危機的状況の現れでしかない。
ライダー50周年の時の各所でのコメントには関係者への配慮を多分に含意しつつも、ここで書かれるような手前味噌な発言はほとんどなかったと記憶している。むしろバンダイと言う東映を支配するショッカーをうまいこといなしつつもよくぞここまで続けられてるなあと言う心情。
むしろ「ジオウ」以降、白倉の手から離れた現行の仮面ライダーにこそ「品性」を感じられなくなりつつあると言う実感ですが、その品性とは、世の中に対する訴求性だと思う。
まあ任侠ものであったりトラック野郎であったり、俗悪な作品を世に送り出してきた東映に対して品性なるものを求める方が大いに錯誤してると思いますが。東映に潔癖性を求めてはダメだなと思いました。
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