スーパーヒーロー大戦は作り過ぎか?

 1956/1/15 赤穂浪士 天の巻・地の巻(松田定次)
 1957/1/3 任侠清水港(松田定次)
 1957/8/11 水戸黄門(佐々木康)
 1958/1/3 任侠東海道(松田定次)
 1958/8/12 旗本退屈男(松田定次)
 1959/1/15 忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻(松田定次)
 1959/8/9 血斗水滸伝 怒涛の対決(佐々木康)
 1960/1/3 任侠中仙道(松田定次)
 1960/8/7 水戸黄門(松田定次)
 1961/3/28 赤穂浪士(松田定次)
 1962/1/31 天下の御意見番(松田定次)
 1963/1/3 勢揃い東海道(松田定次)

 出演者の一人が自分のサイトでフライング発表をしたせいで、来春もまた歴代スーパーヒーロー大集合映画が作られることが明らかになった。もう毎年やる方針のようだ。
 そして批判の声も多い。オールスターというのは、たまにやるからこそワクワクするのである。安直に客を呼べるからといって毎年やっていたら、興奮も感動も下がる一方じゃないか、と。
 しかし本当に作り過ぎなのだろうか。
 かつて東映時代劇は、やたらオールスター映画を作っていた。片岡千恵蔵と市川右太衛門という、二人の重役スターが一緒に出てる映画だけ挙げてみてもこの通り。他にも、『風流使者 天下無双の剣』とか『天下の伊賀越 暁の血戦』とか(いずれも1959年、松田定次監督)、豪華キャストの映画が大量に制作されていた。片岡・市川の他に大友柳太朗、月形龍之介、東千代之介、大川橋蔵、中村錦之助、美空ひばり……。普段は主役しか演らないようなスターたちが、次から次へと目まぐるしくスクリーンに登場、観客はその度に「待ってました!」と心のなかで叫ぶ、まあ、それだけの映画だったのだが、客の入りはよかったらしい。そしてそんな映画を大量に作っているうちに、やがて衰亡に向かっていったわけである。
 1956年は東映創設五周年であり、『赤穂浪士 天の巻・地の巻』はいかにも「満を持して」という感じだったのだろう。それが好評を博したために、あっという間に年に二回のペースが定着。現在のスーパーヒーロー大戦の映画は年に一回であることを考えると、まだ少ないとか思っていそうだ。ちなみに松田定次というのは当時の東映時代劇のエース監督で、その下で助監督を務めていたのが八手三郎こと平山亨氏である。
 時代劇のスター俳優というのはプライドがやたらと高い。そんな人たちをきちんと捌いて一本の映画を作るというのも、並大抵の苦労ではなかったようだ。全員にきちんと等分の見せ場を設けなければならない。誰かが誰かの引き立て役になったりするようなシーンなどもってのほか。そんなことばかりに神経を使って撮影をしていれば、ストーリーのほうが疎かになりそうなもんだが、それは別に構わなかったらしい。
 現在のスーパーヒーロー大戦を見ていると、確かに東映時代劇のオールスターの伝統を忠実に引き継いでいるようにみえる。悪い部分だけ。

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