頭が悪いのが右翼、頭がおかしいのが左翼
右翼と左翼の区別のつけ方、というのでネットで検索していたら、こういうのが出てきて、なるほど言い得て妙だと思った。ただこれでは余りにも簡潔過ぎて、理解していない人も多いようなので、ここで解説役を買って出る。
科学技術は進歩する。産業や経済の発展とともに社会の構造も時とともに変化していく。ところが人間の意識というものは、それほどの速さでは変化しない。伝統とか文化といったものに束縛される。そこで齟齬ができる。これを問題視するのは右翼も左翼も同じである。
この問題は、一挙に解決する手段はない。一つ一つの問題に対して根気よく取り組んでいくしかないのである。一挙的な解決法に飛びつこうとする人が、考えを極端に走らせる。一つは、歴史や伝統文化なんか完全に無視して、社会の変化に応じて人間の意識もどんどん変えていくべきだとするもの。もう一つは、産業や経済の発展なんか無視して、人間の意識は古いままであるべきとするもの。前者が左翼に後者が右翼になる。
社会改革のプランというのは、どんなに緻密な理論に基いて組み立てたつもりであっても、地に足のつかない空理空論へと飛躍することがある。左翼の場合、そうなった際にブレーキとなるものがない。「そんな改革、常識的に考えてうまくいくわけないだろ」という批判の声に対しては、「そういう常識こそ変えなければならないのだ」という返答しか返ってこないからである。これが「頭がおかしいのが左翼」である。一方、右翼の提示する社会改革のプランには、新しい発想や飛躍がまったく盛り込まれない。ただ昔はよかったと言うだけで、我々の生活実感から一歩も抜けだそうとしない。つまり「頭が悪いのが右翼」である。
ネットでは、自分と異なる考えを持った人間を見ればすぐにウヨだのサヨだの決めつけて叩きまくっている人がいっぱいいる。叩くのは結構だが、その前に深呼吸して、その人が過去全肯定論者か未来全肯定論者か程度のことは見極めてからにすべきではなかろうか。そうすれば少しは生産的な議論もできるはずだ。
デマに惑わされるな!
東日本大震災の被災者の諸君!
被災者がこんなブログなんか見ているとも思えんが、まあ仮に見ているとして話を進めることにする。
インターネット上で流れている、根拠のない情報に惑わされてはいけない!
奴らの大半は、単に退屈しのぎでデマをまきちらしているだけだ。
もちろん、政府や自治体、東電の発表を鵜呑みにしていいわけではない。首相の、原稿棒読みのボソボソした会見なんかを見てると確かにイライラする。お前らは本当は、国民の生命や安全よりも自分たちの保身のほうを大事に思っているんだろう、何か隠しているんだろうという気なっても当然である。だからといって、まがりなりにも公的な立場にある人間と、ネットで憶測で好き勝手なことを書いてる連中と、どっちを信用するかと言われれば、考えるまでもあるまい。
確かに政府の初動にも問題はあったと思う。「できるだけ小さな被害であってほしい」という願望がまじったために楽観に傾いた判断をしてしまった部分があるかもしれない。政府や自治体の発表をもとに、それより少し悪い事態を想定し、最終的には自分の頭で考え行動する。被災者の諸君なら、誰もが実行していることであろう。私のブログなんか読むまでもなく。だからこれは念のために書いているのである。
一方、別に地震や原発についての専門的な知識を持っているわけでもなく、政府や東電の言っていることは嘘に違いないと決めつけてネット上で噂を拡散させている人間は、「できるだけ大きな被害であってほしい」という願望が混じっている。人の不幸を喜び、はしゃいでいる人間のクズである。被災者にとっては今は手一杯で、そのような人間のクズを相手にする暇もないであろうから、私が代わりに相手をしてやったのである。
『ドラえもん』を神棚から引きずりおろせ
「ドラえもんはのび太を一人前の男にするべく未来の世界からやってきたはずなのに、なぜのび太を甘やかし、自立や成長を阻害するようなことばかりするのか?」
『ドラえもん』に対してよく言われるツッコミである。
答えは第1話「未来の国からはるばると」にある。もともとドラえもんは「出来の良くないロボット」という設定だった。ドラえもんがのび太の役に立たないのは当たり前なのである。出来の良くない二人が未来の道具に振り回され、ドタバタギャグをするというのが当初の作風だった。『ドラえもん』の愛読者ですら忘れている人は多そうではあるのだが。
そして6巻ほど続いたところでドラえもんは未来の国に帰ってのび太は自立を迫られるという最終回を迎えるはずだった。
それが変更を迫られたのは、おそらく読者の要望に迎合した結果であろう。子供たちはドラえもんに対して保護者であることを望んだ。藤子不二雄の他の作品の主人公たちが、「大人になること」をつきつけられて最終回を迎えたのに対し、のび太だけがいつまでも子供でいるという特権を享受することができ、それがゆえに他を引き離した人気を獲得することができた。そして「国民的マンガ作品」として神棚に祭られ、「自立と成長を阻害するドラえもん」という面を突っ込んで論じられる機会も失ってしまった。
インターネットでいろいろ検索をかけてみると、少数派ではあるが、『ドラえもん』が「子供たちに夢を与える作品」という持ち上げられ方をすることに対する危惧を抱いている人もいるようである。そして『ドラえもん』におけるブラックでダークな面にもっと目を向けるべきと主張する。
特に私が気に入ったのはこれ。
http://winzdouga.blog108.fc2.com/blog-entry-273.html
「萌え」はクズ作品の言い訳
「萌え」を宝の山かなんかと勘違いするのが横行しているのではないか。
『サルでも描けるまんが教室』の続編『サルまん2.0』が今月号の『IKKI』で連載中止。その無様な自爆を見て、そういうことを考えた。
「萌え」を理解せぬ者にオタク文化の今を語る資格はなしという強迫観念にとりつかれてでもいるかのように、評論家の連中が猫も杓子も「萌え」について語り出している。で、私も何冊かそういうのを読んでみたのだが、結局人によって「萌え」の定義からしてもうバラバラ。研究者どうしの間での自分の立場や地位を守るために都合がよくなるように、勝手な定義を唱えているだけなんじゃないかと疑いたくもなる。物語の登場人物に強い愛着心を感じるというのは、小説だろうが映画だろうがマンガだろうが昔からある。それを殊更「萌え」などと名付け、あたかもオタク文化に新しい潮流が到来しているかのように幻想が振りまかれているのはどういうことなのか。
私が最も「萌え」本質を突いていると思ったのは、野中英次『魁!! クロマティ高校』の15巻である。
というか私自身、あのマンガと全く同じ経験を現実にしたことがあるのである。当時の私はライトノベルという概念も知らなかったから、一色銀河『若草野球部狂想曲』を読んだとき、本格的な野球小説と勘違いして、納得のいかないことを納得いかないと謀巨大掲示板のスレに書き込んだことがあるのだが、そこでの反応がまさに『クロマティ』そのまんま。何を言っても「目くじら立てるな」「どうせフィクションなんだから」こういうのばっかり。
小説として、読者に「納得できない」と思われたということは、読者を作品世界に引きずり込むことに失敗したからだ。それを「目くじら立てるな」という反論の仕方しかできないということであれば、その作品が劣ったものであるということを認めたということに他ならない。その作品には、仲間内でしか通用しないくらいの強度しかないということだ。しかし潔く認めるのもしゃくなので、これは「萌え」といって新しい文化の潮流なのですよ、頭の古い人たちには分からないでしょうけどなどと予防線を張ってごまかしているだけではないのか。
しかし、なぜ誰もそういうことを言わないのだろうか。
マンガやアニメの評論なんかしている人というのは、たいてい若い頃に年長者から迫害を受けた記憶があるはずだ。いい年こいてこんなくだらないものを見て、と。そしてマンガやアニメが市民権を確立した今、今度は自分たちが年長者の側に立ち、若い者たちをいじめる立場に立ちたくないと思っているのだろうか。その心がけは立派だが、しかしそれは若者文化を理解できもしないくせに、理解しようと努力するふりを装い媚びているだけだ。
中には竹熊氏のように、本当に萌えが新しい文化であり出版不況にあえぐマンガ界に降り立った救世主であるかのように勘違いする人まで生じているのだろう。『サルまん2.0』が失敗したのは当然だ。
まあ市民権なんて特撮ファンには何の関係もない話だから、「萌え」について自分の考えていることを正直に書いてやる。
キャラ萌えオタクは自己正当化に必死
伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』読了。
マンガ表現論についての本だが、分析も面白いと思ったし、特撮に対する私の姿勢に共通する部分もあって、非常に有意義な本だった。
ただ、「最近のマンガはつまらなくなった」という言説に反論しようという筆者の意図とは裏腹に、やはり最近のマンガはつまらなくなったのだ、ということが理解できる本であった。
そして、最近の若い人たちは、自分たちの読んでいるものがつまらないものだという自覚があるからこそ、躍起になってそれを否定しようとしているのだということも。
マンガ文化はもう完全に市民権を獲得したと言えるであろう。
各地の大学でマンガの研究科が設置されたり、国や一流新聞社が賞を主催したりしている。これというのも、手塚治虫という巨人を「権威」として奉るという作戦が功を奏したというのが大きい。それまではたわいのない物語しか描けないと考えられていたマンガが、彼によって「人間を描く」という手法が発明され人間ドラマを描くことが可能になった、とかなんとか。
だが、それはマンガ文化の権威付けという点では大事なことかも知れないが、一般読者にとってはどうでもいい話である。面白いマンガを読めば面白いと思い、つまらないマンガを読めばつまらないと思うだけである。「人間が描かれ」ていようがいまいが、知ったことではない。
ところがこの筆者は、マンガというのはキャラに人間が描かれ、物語を読むのがマンガの楽しみ方であるという先入観に人々が支配されている、などと主張する。そしてキャラをキャラとして楽しむという読み方が1980年代ごろから新しく台頭してきたことに気がつかない。そして「最近のマンガはつまらなくなった」と言いふらし、そのためそのような言説が幅をきかすようになった、と。
んなわけあるかい。
『ドラえもん』のどこが一体「人間が描けている」というのか。のび太は一向に成長しないし他の登場人物もみんな記号だ。にもかかわらず、みんな『ドラえもん』は面白いマンガだと楽しんでいるではないか。「最近のマンガはつまらなくなった」と言われるのは、本当につまらなくなったからではないのか。しかし年寄り連中にそんなことを言われるのが我慢ならず、「いやこれはキャラ萌えといって新世代のマンガの楽しみ方なんですよぉ。頭の古い人たちには理解できないでしょうけど……」などと予防線を張っている、そんなふうにしか私には思えない。
一方後者の群は、「キャラ」のレヴェルの読み、すなわちテクストの背後に「人間」を見ないという読みはまったくできない(か、していたとしても強く抑圧し、意識化しない)ようである。
同じオタク文化に分類されるとはいえ、マンガと違って特撮ヒーロー番組なんてのは、たわいのない子供向けの物語とさげすまれ、権威とは最も遠いところにある。しかし、であるがゆえに、面白いものを面白い、つまらないものをつまらないと言う、通用するのはそれだけである。人間が描けているだの物語が描けているだの、そんな文芸理論など何の役にも立たないということを何よりも知っているのが特撮ファンである。
権威を、あるいは反権威を旗印にして、ポストモダンがどーしたこーしたと、こけおどしの理論武装にコロリとまいったりしているマンガファンを傍から見ていると、特撮ファンとしてはコッケイとしかいいようがなかったりするのですよね。
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