スーパー戦隊における「唯一絶対の力」(その3)

スーパー戦隊の唯一絶対の力

 (承前)比喩がコロコロ変わって申し訳ないが、今度は演劇を例にとる。主役はこういうキャラクターなので、それにピッタリのイメージを持った役者を探したがなかなか見つからない、ということがある。時間がないので仕方なく、八割くらいイメージが合致している人で間に合わせることにした。そして逆に、その役者にピッタリに合うように脚本と演出プランを修正。そしたら最初の構想よりも、もっと素晴らしい劇になった――というケースがある。
 つまり、役に役者を合わせるのも、役者に役を合わせるのも、優劣はないのである。合ってさえいればよい。後者の効果を最初から狙い、時間がたっぷりあるにもかかわらず、役にピッタリの役者を探す努力を適当に切り上げることすらある。まあその場合、脚本家と演出家に皺寄せがくるが。
 さて、話をスーパー戦隊に戻すと、ある人が戦士に選ばれたとして、その理由は二つに分けられる。一つは理念先行現実追随の理由、もう一つは現実先行理念追随の理由である。知力や体力、精神力に秀でた者を戦士に選びたい、という理念が最初にあるとする。しかし、敵の襲来が予想より早く、戦士の選考に十分な時間をかけることができなかったらどうなるか。その場合は「たまたま近くにいた」というのが戦士に選ばれた理由ということになる(つまりそれが「現実先行」)。場合によっては、十分な時間があるにもかかわらず、ベストでない者を選ぶこともありうる。
 さて、理念先行と現実先行の理由の比率は、どのようにしたら算定できるであろうか。「時間が無限にあったら」という仮定を設けると分かりやすい。現実先行的理由がゼロになって、理念先行的な理由だけで戦士の選考が行なわれたとしたならば、一体どのようなチームができていただろうか。そしてそれと比較することによって、この戦隊は理念何%現実何%と同定できる。
 しかし果たしてそういうやり方で、ちゃんと戦闘能力を発揮できるのかという疑問もある。話を演劇に戻すと、もともとのプランでは、ヒロイン二人は対照的な性格をしており、それがストーリーに味わいを加えるはずであったのが、役を役者に合わせた結果としてどっちも同じような性格になってしまった、なんてことになったらどうすればいいのだろうか。つまりここでは「理念と現実」の関係と全く同じ構造が、「個人と組織」の関係についても成立していることが分かる。(続く)

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