友里アンヌのファンはおかしい

怪獣使いと少年
切通理作『怪獣使いと少年』から

アンヌは『セブン』の中で、常にダンの心の支えのようなヒロインとして描かれていた。恋の告白やラブシーンなどは一回もないのにもかかわらず、視聴者の子どもたちはダンの恋心をよくわかっていた。「零下140度の対決」で、雪の中に倒れたダンは、アンヌが基地でいれてくれる「あったかいコーヒーとスチームが僕を待っている」と自らを奮い立たせる。僕にはこのセリフは「あったかいコーヒーとアンヌ(原文では傍点)が待っている」と、ずっと聞こえていた。
 おい。
 妄想を根拠に論を組み立てるな。
 『ウルトラセブン』は古典だから、教養として身につけておかなくてはと思って第1話から見始めたんだが、あんまり退屈なんで途中でギブアップしてしまった。『セブン』ファンには悪いが、「今見ても面白い」とか言う人は、“思い出補正”で目が曇っているとしか思えない。
 私は当然友里アンヌに注目して見た。第26話「超兵器R1号」。超兵器計画にはしゃぐウルトラ警備隊(アンヌ含む)、一人だけ暗い顔をしてつぶやくダン、「血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ」。第42話「ノンマルトの使者」。本当の地球の原住民は誰なのか苦悩するダン、「人間が人間のことを考えるのは、当然のことじゃない。海底は私たちにとって、大切な資源よ」とアンヌ。
 「常にダンの心の支えのようなヒロインとして描かれていた」? 嘘をつくな。アンヌが何かしゃべって、ダンの孤独はいっそう引き立つ、そんな描写ばっかりだぞ。
 途中をすっ飛ばして最終二話「地上最大の侵略」を見たら、これはよくできていた。で、この回のアンヌに深い感動を覚えた視聴者が、これまでずっとアンヌがダンを支えてきたかのように錯覚したんだな。
 女のほうは、別に男に尽くしたいとか全然思っていないにもかかわらず、男のほうは勝手に今まで自分がそうされていたと思い込む。現実にはよくある話である。こじらせるとストーカーになったりする。
 しかし現実の女性相手ならともかく、テレビの中のヒロインに対してそんな感情を抱くのは、気持ち悪いからやめたほうがいいと思う。

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