デンジピンクは一体何を牽引したのか

民主と愛国
小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』

 『電子戦隊デンジマン』のデンジピンク・桃井あきらに関しては、悪く書いてはいけないみたいな意識が自分にはあり、そういうのもよくないと思って、今回「戦隊ヒロイン列伝」を書きなおしていたら、桃井あきらに関しては前に比べて思い切っきり評価が辛くなってしまった。その弁解をする。
 私は『デンジマン』はリアルタイムでは見ていない。だから、見ていた人から「当時はすごく人気があった」と言われたら、どうしてもそこには圧迫の構造が生じる。『スーパーヒロイン画報』(1998年)にも「特撮ヒロインブームを牽引(した一人)」なんて書いてあり、こういうことを書いてある本は他にも多い。しかしそれは、単にその執筆者があきらのファンで、自分が感じたことを当時の人間すべてが感じたことのように書いているだけなのではないか。今回「謎なぞ七色レディ」をあらためて見て、こんなにつまらない話だったのかと愕然とした。
 当時の雑誌とか色々調べているのだが、あきらがそんなに人気が出たなんて資料はいくら探しても見当たらない。そんなに人気が出たのなら、次作の『太陽戦隊サンバルカン』でなぜ女戦士がいなかったのか。また小泉あきら氏もこの番組の後は二度と女優はやっていない。彼女の魅力はあくまでもモデルとしてのものであって、女優としてのものではないことは明白である。特撮ヒロインブームの牽引車はやはり桃園ミキだと考えるのが妥当であって、彼女が人気が出ることによってそれ以前の戦隊ヒロインにもスポットライトが当たるようになった、と考えたほうが辻褄の合うことは多い。
 「体験」とか「実感」というものに基づいた証言などに重きを置くものではない。それを許せば、結局は声のデカいもの勝ちになってしまう。昨今の憲法九条をめぐる動きを見ていると、日本の戦後の反戦平和運動の限界もやはりそのへんから来ているのではないか。などと書くと急に話がでかくなって申し訳ないが、「戦争体験の悲惨さを語り継ぐ」という形でしか国民の反戦意識をかきたてる手段を持たなかったがため、「戦争中が暗かったというのはサヨクの嘘っぱちであって、米英撃滅・聖戦完遂のために国民の心は一つで意気は高く明るかった。自分はそのように体験した」などと言う奴が出て来ると、対抗手段がなくなってしまうのである。ま、そういう「体験」を語る人というのは、戦中世代といっても深刻な飢餓や空襲にあうことのなかった、比較的恵まれた立場にいた人に決まっているんだけど(と、小熊氏の本に書いてあった)。

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