小谷野敦の本はなぜ売れるのか(後編)

 (承前)『ドラえもん』の劇場映画はなぜ年に一度なのだろう?
 毎年巨額の利益を出してる映画である。だったら春休み夏休み冬休みの年三回公開にすれば、もっと利益が出るだろう。子どもたちだって喜ぶはずだ。……なんてことを考える人はいないわな。日本の誇る偉大なクリエイター、藤子・F・不二雄先生の遺産を粗略に扱うなど許されるはずもない。
 ひるがえって『仮面ライダー』はというと、年三回公開という体制が定着して久しい。
 逼迫したスケジュールがたたってクォリティは落ちる一方、それでも黒字が出ている以上、本数を減らすことはありえない。だいたい東映のスタッフも全員、石ノ森章太郎先生の魂を受け継いで『仮面ライダー』という作品を大切に作っていきますと言ってはいるものの、それが口先だけのものだということは、ファンもみんな了解している。
 これが特撮のファン気質なのだ。
 このブログで何度も何度も書いてきたが、私は商業主義を全否定するわけではない。問題はバランスなのだ。特撮作品の世界では、商業主義が暴走した際にブレーキ役を果たす存在が何もない。権威主義が通用しないということには良い面も悪い面もあると前回書いた。その悪い面がこれである。
 『ウルトラセブン』第12話「遊星より愛をこめて」も、それが本当に被爆者に対して差別的な作品かということは、どうでもいいことなのだ。安藤健二『封印作品の謎』にもそんな書き方がしてあった。つまり、差別的なエピソードが含まれていると言われることが『ウルトラセブン』のイメージを悪化させ、そのことがもたらす損害額と、第12話をソフト化して上げられる利益額、その両者を比較して、前者が後者を上回ると円谷プロが判断した。そうである以上、どうしようもないことなのだ。ファンもみんな分かっている。
 そんな現状がいいことだとは私も思わない。特撮ファンはもっと教養を高め、社会問題に対して目を向けるよう務めるべきである、という意見もある。そのためには、この特撮村に来てほしいのは、鳥なき里の蝙蝠なんかではなく、本物の鳥類である。芥川賞に落ちたことを売りにしている人なんかではなく、芥川賞なんかどうでもいいから真摯に小説に打ち込んでいるような人……。

7/29に補論

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