藤子・F・不二雄にとっての「戦後」(後編)

 (承前)このような問題は子ども向け作品に限った話ではない。映画『二十四の瞳』(1954年)などに対してもついても同様の批判が存在している。しかし子ども向け作品の場合は事情はより切実だ。子どもは大人に比べればさらに理解力は低い。戦争だとかエコロジーだとか真の友情とは何かとか、重いテーマを作中で取り上げようと思えば、程度を落として描かざるをえない。子どもの頃に意味が深いと思いながら見ていたマンガやテレビ番組も、大人になってから見るとどうしても批判的な部分に目がいく。
 そしてそういう見方をされることこそが、子ども向け作品にとっての名誉ではないかと思う。
 「程度を落とす」と言えば聞こえは悪いが、しかし『ドラえもん』を読んだ子どもがそれをきっかけにして日本の戦争について興味を持つようになり、中学生・高校生へと成長するに従って年齢に応じて程度の高い本を読むようになれば、それは素晴らしいことである。重いテーマにそもそも触れないような作品は、子どもの頃にどんなに大好きであっても、大人になってから見返してみた時に単に懐かしさ以外の感情が沸き上がってくることはないし、議論する気にもならない。程度を落とさずに扱えば、そもそも子どもには理解できないから心にも何も残らない。程度を落としすぎず落とさなさすぎずという困難を達成した作品は名作と呼ばれるべきである。
 もちろん、子どもの頃に感動し、大人になってから見返しても子供の頃と何一つ変わらぬ感動を与えてくれる作品、という名作もないわけではない。しかしそれは単にその人間が子供の頃から成長していないだけではないのか。

 さて話は最後に戦隊に戻るが、戦隊に出演した俳優で、サイトやらブログやらをやっている人はいっぱいいるが、自分の出演した作品を本当に名作だと思い、出演を誇りにしている人は、批判的な目で自分の出演した作品について語るのではないだろうか。しかしそんな人は滅多にいないのである。

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