スーパー戦隊における「唯一絶対の力」(その1)

 ウィキペディアを見ていると、なんかやたら「シリーズではこの作品が初」みたいな記述が目につく。革新的なのはなんでもかんでも良いことで、保守的なのはなんでもかんでも悪いことという決めつけでもあるのだろうか。『鳥人戦隊ジェットマン』も単に新しいだけの作品ではない。絶対の正義を信じて戦うという、旧来ヒーロー像の残滓を引きずっているところもあり、それがまたこの作品の魅力の一つでもあるはずだ。
 『ジェットマン』ではバードニックウェーブが、バイラムに対抗して人類を守る唯一の力、という設定になっている。いや、なんとなく雰囲気的にそういうふうに話が進んでいるだけであって、よくよく考えてみると、「唯一」なんて作中では誰も言っていない(ナレーション含む)。だいたいバードニックウェーブは人類が研究室で作ったものであって、別に神秘的な設定があるわけでもなし。
 にもかかわらず、竜以外の四人は「しかたなく戦士に選ばれた者」ということになっている。事故が起こって、当初の構想とは食い違ってしまったという理由で。だが果たして本当に彼らは劣っているのだろうか?
 それ以前の作品でも、『デンジマン』ではデンジ星人の末裔としての力が、『チェンジマン』ではアースフォースが……というふうに、それがそれぞれの作品世界において絶対的に信頼できる力が一つだけあるという設定になっている――ように見える。しかし正確に言うとそれは「唯一の力」ではなくて、「今のところ知られている唯一の力」にすぎない。他にも方法はあるのかもしれない。と考えると、第二話であきらが戦士になることを拒む場面についての解釈も大きく変わってくる。もっとも『デンジマン』のファンでもそこまで突っ込んで考察している人というのは見たことないが。
 『ジェットマン』に話を戻すと、第40・41話に出てきたネオジェットマンは、そういう意味では作品のかなり深いところを突いていたと言える。当初の構想に近いのはネオジェットマンの方であり、それは果たして竜たちのジェットマンに比べて優れていると一概に言えるのか。もっともこの問題も、あまり掘り下げられることはなかったが、掘り下げられていれば『ジェットマン』がさらに深い作品になったかどうか。意見が別れるところであろう。ちなみにこの回の脚本を書いた荒木憲一氏、メインライターでない人である。(続く)

Go to top of page