馬鹿フェミニズムと特撮評論
『バトルフィーバーJ』の第26話「包帯男の仮面報告」。
『電子戦隊デンジマン』の第18話「南海に咲くロマン」。
『太陽戦隊サンバルカン』の第29話「美剣士白バラ仮面」。
戦隊シリーズ初期作品の、それぞれのヒロインベストエピソードを選べと言われたら、このへんは鉄板ではないか。
共通しているのは、いずれもヒロインが仲間の男たちの指示に逆らって行動するという点だ。こういうことを書くと私自身がフェミニストみたいだが、そうではない。筋力や体格には性差というものがあり、女は男に戦闘能力という点では劣る。だから女が男の指示に従うのは当たり前。そしてそのような前提があった上で、女が男に逆らうからストーリーが面白くなるのだ。それを何か勘違いして、女が強ければ強いほど面白くなると思ったのだろうか、その後の戦隊シリーズは、普段どんな弱い人間でも強化スーツを着用すればたちまち無敵の超人と化すような話になっていき、結果男も女も戦闘能力の差はなくなっていった。そこで女が男に対して対等な口をきいたところでそんなものは当たり前すぎて、面白くもなんともない。かえって空しいだけだ。
たとえば文芸評論の分野では、これは女を弱く描いているからダメな作品だ、女を強く描いているからイイ作品だ、なんてことを言ってるやつはいない(まあたまにいるが)。人間というものは多面的なものであって、一つの物差しだけで作品の評価を決めることはできない。だが特撮ではこういう単細胞的な評論がまかり通り、斎藤美奈子氏の『紅一点論』みたいな愚劣な本がもてはやされたりしている。
マンガやアニメの評論も、昔はひどかったが、最近はちゃんとしたのが出てきている。こんなところでも特撮は差をつけられている。なさけない。
ちなみに、先にあげたエピソードに共通していることがもう一つあって、すべて脚本がサブライターである曽田博久氏によるものである。
曽田氏がメインライターに就任した最初の作品である『大戦隊ゴーグルファイブ』で、戦隊ヒロイン人気の大爆発が起こったのは、まあ当然の結果だ。
ダイアン・マーチン、汀マリア論
桃井あきら論
嵐山美佐論
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Comments
>筋力や体格には性差というものがあり、女は男に戦闘能力という点では劣る。
>女が強ければ強いほど面白くなると思ったのだろうか、その後の戦隊シリーズは、普段どんな弱い人間でも強化スーツを着用すればたちまち無敵の超人と化すような話になっていき、結果男も女も戦闘能力の差はなくなっていった。
勘違いしたというより、必然的な帰結ではないでしょうか?
明らかに他の男戦士よりも著しく戦闘能力の劣るキャラがメンバーにいたら、おかしいでしょ
「何でこんな役立たずを置いておくの?」て、
子供たちだって言うと思いますよ
リアリティに徹して戦隊を男だけにするのも一つの手でしょうけど、戦隊はその道を取らなかった。だから、戦闘スーツによって強化された強いヒロイン像になったのでは?
大体戦隊というか特撮ヒーロー全般に言えるんですけど、男の戦士たちが全員「生身でも強い」かというと、違いますよね
タイムグリーン/シオンとか、
仮面ライダーキバの紅渡とか(腕立て伏せ数回でギブアップするレベル)
そんなキャラでも、変身すれば強くなる、というのが特撮ヒーロー番組でありまして・・・
そういう世界だからこそ、戦隊だと全員が必ずしも体育会系のマッチョマン、見たいに画一化せず、多様なキャラをメンバーとして出せるようになったわけで、それが魅力の一つになったわけだと思います。
何が言いたいかというと、「変身したから女性の戦闘能力も男性と対等に強くなる」というのは相応のリアリティ追及(クウガのような「リアル」追及とは違う)の結果として導入された設定であって、「勘違い」みたいな浅はかなものとは違うのでは、と愚考します
「必然な帰結」と言えば確かにその通り。しかしそれは同時に「易きについた」という言い方もできるのではないでしょうか。
つまり五人の人間がいてチームを作ったとして、五人全員の能力が同程度の場合と、有能無能の差が大きい場合とでは、当然のことながら前者のほうがチームとしてうまくいきやすい。しかし我々の実際の経験では、後者のような場合のほうが多いわけだし、困難に挑んでなおかつ描き切ったときこそ、名作と呼ばれもするのでは。そして戦隊シリーズは男女の能力差を描かないことによって、可能性を一つ潰したような気がしてならないのです。
>困難に挑んでなおかつ描き切ったときこそ、名作と呼ばれもするのでは
しかしそれでは「女を外せばいいじゃん」以外の解決策はないのでは・・・?
「変身前の強さと変身後の強さは無関係」という
設定は、キャラの多様化を可能にできる(肉体的に弱い人物でもメンバーにできる)わけで、それによって開けた可能性もあると思います
電波人間タックルとかは確かにそんな感じでしたね。なんのために戦士として存在しているのか分からない。
全くの足手まといか、男と同等にするか、どっちかしかない。その中間があってもよさそうに思うんですけど。
今の時代は昔より道具も発達して、肉体の強靭さを求められる場面はそうありませんし、男女で能力の差があるなんて(第二次性徴前の)子供はあまり考えないのでは?車で普通に公道を走ったり、スマホ始め機械を操作するのに男女(父母)の能力差なんてないですし。変身することによって十分に大きな力を得るわけですから、生身の(肉体の)強さは問題にならない、と解するのが普通かと思います。
能力差があってそれが有機的に絡み合って魅力的なチームになるのはいいとして、男女差が能力差という発想は古いステレオタイプなのかなと個人的には思いました。もちろん巨人の星のように「時代劇」と認識した上でなら楽しめるかもしれませんが。
もちろんステレオタイプを排した普通の設定だがつまらない作品よりも、ステレオタイプ満載だが面白い作品のほうが一視聴者としては見たいものです。
(常識的に言ったら、敵の戦力が自衛隊以下であれば自衛隊か警察海保等がなんとかしてくれるでしょうし…それ以上ならウルトラマン的なヒーローが求められそうですし… 既存の組織で対処できない絶対的な敵を描くのは難しそうです。 そういうこともあってゲームかスポーツを舞台に、対戦相手(試合中のみの敵)と勝負するといった作風が増えてきたのでしょうかね…)
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