『ドラえもん』を神棚から引きずりおろせ

 「ドラえもんはのび太を一人前の男にするべく未来の世界からやってきたはずなのに、なぜのび太を甘やかし、自立や成長を阻害するようなことばかりするのか?」
 『ドラえもん』に対してよく言われるツッコミである。
 答えは第1話「未来の国からはるばると」にある。もともとドラえもんは「出来の良くないロボット」という設定だった。ドラえもんがのび太の役に立たないのは当たり前なのである。出来の良くない二人が未来の道具に振り回され、ドタバタギャグをするというのが当初の作風だった。『ドラえもん』の愛読者ですら忘れている人は多そうではあるのだが。
 そして6巻ほど続いたところでドラえもんは未来の国に帰ってのび太は自立を迫られるという最終回を迎えるはずだった。
 それが変更を迫られたのは、おそらく読者の要望に迎合した結果であろう。子供たちはドラえもんに対して保護者であることを望んだ。藤子不二雄の他の作品の主人公たちが、「大人になること」をつきつけられて最終回を迎えたのに対し、のび太だけがいつまでも子供でいるという特権を享受することができ、それがゆえに他を引き離した人気を獲得することができた。そして「国民的マンガ作品」として神棚に祭られ、「自立と成長を阻害するドラえもん」という面を突っ込んで論じられる機会も失ってしまった。
 インターネットでいろいろ検索をかけてみると、少数派ではあるが、『ドラえもん』が「子供たちに夢を与える作品」という持ち上げられ方をすることに対する危惧を抱いている人もいるようである。そして『ドラえもん』におけるブラックでダークな面にもっと目を向けるべきと主張する。
 特に私が気に入ったのはこれ。
http://winzdouga.blog108.fc2.com/blog-entry-273.html

Comments

いや…、僕の大学の先輩に当たる方(ドラオタw)が似たような危惧を述べたことがあったんです。
「今のアニメドラえもんは啓蒙的になっていて、昔のような自由さがない」
と。今世紀初頭の話です。新ドラに生まれ変わる前の旧ドラ最後の時期ですね。
旧ドラえもん(アニメ)は、1週2話放送の前半を新作、後半を旧作の再放送やってた時期があったんです(けっこう長い期間、90年代からそうでした)。
要するに、ドラが「いい子ちゃん」に描かれがちになっちゃってて、先輩はその落差に慨嘆しておられた、と。

ドラえもん、原作はアニメよりもっと過激なんですよ。ジャイアンが「ゴウモンにかける」とか言ってて(苦笑)。ドラのキャラも「すぐにジャイアンを殴りに行く」ようだったり(笑)。
ドラって、けっこうダークなブラックなユーモアが炸裂してる作品でもありまして、そういう「毒」の部分も含めて僕なんかは愛してるんですよね、幼い頃も今になっても。

ただ、ガキ向け作品の啓蒙性も、また重要なファクターであると思います。ギャグアニメの巨峰タイムボカン・シリーズでも、あれでけっこう歴史上の有名人を憶えてることもありまして、けっこうドギツイ描写・表現が子供に受ける反面、語彙を憶えたり、社会事象・科学現象を教えられたりしてる面もあり、そういう多面性が昔のガキ向け作品の魅力でも合ったと思います(近年はそういう啓蒙性が希薄になってる気がする)。
ただ、その啓蒙性が「毒の無い」「当たり障りの無い」「暴力が少ない」とかになっちゃったら、「それ違わない?」と思ってしまいますね。

「国民的」…、そういう言葉を冠せられても、当のドラえもんが本当に「現役」の子供漫画だった時代に生きてた者としては、
「え? う〜ん、そう言われればたしかに『国民的』ではあるよなぁ」
とは想うんですが、そんな堅苦しい表現は似つかわしくない気も(笑)。もっと身近なもんだったんですよね、毎週毎週金曜夜19:00をワクワクしながら待っていた、みたいなね。

  • デンジロボ Mark2
  • 2008/06/18 12:09 AM

Post a Comment








Track back URL

http://eno.blog.bai.ne.jp/trackback/130782

Trackbacks

Go to top of page