キャラ萌えオタクは自己正当化に必死

 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』読了。
 マンガ表現論についての本だが、分析も面白いと思ったし、特撮に対する私の姿勢に共通する部分もあって、非常に有意義な本だった。
 ただ、「最近のマンガはつまらなくなった」という言説に反論しようという筆者の意図とは裏腹に、やはり最近のマンガはつまらなくなったのだ、ということが理解できる本であった。
 そして、最近の若い人たちは、自分たちの読んでいるものがつまらないものだという自覚があるからこそ、躍起になってそれを否定しようとしているのだということも。

 マンガ文化はもう完全に市民権を獲得したと言えるであろう。
 各地の大学でマンガの研究科が設置されたり、国や一流新聞社が賞を主催したりしている。これというのも、手塚治虫という巨人を「権威」として奉るという作戦が功を奏したというのが大きい。それまではたわいのない物語しか描けないと考えられていたマンガが、彼によって「人間を描く」という手法が発明され人間ドラマを描くことが可能になった、とかなんとか。
 だが、それはマンガ文化の権威付けという点では大事なことかも知れないが、一般読者にとってはどうでもいい話である。面白いマンガを読めば面白いと思い、つまらないマンガを読めばつまらないと思うだけである。「人間が描かれ」ていようがいまいが、知ったことではない。
 ところがこの筆者は、マンガというのはキャラに人間が描かれ、物語を読むのがマンガの楽しみ方であるという先入観に人々が支配されている、などと主張する。そしてキャラをキャラとして楽しむという読み方が1980年代ごろから新しく台頭してきたことに気がつかない。そして「最近のマンガはつまらなくなった」と言いふらし、そのためそのような言説が幅をきかすようになった、と。
 んなわけあるかい。
 『ドラえもん』のどこが一体「人間が描けている」というのか。のび太は一向に成長しないし他の登場人物もみんな記号だ。にもかかわらず、みんな『ドラえもん』は面白いマンガだと楽しんでいるではないか。「最近のマンガはつまらなくなった」と言われるのは、本当につまらなくなったからではないのか。しかし年寄り連中にそんなことを言われるのが我慢ならず、「いやこれはキャラ萌えといって新世代のマンガの楽しみ方なんですよぉ。頭の古い人たちには理解できないでしょうけど……」などと予防線を張っている、そんなふうにしか私には思えない。

一方後者の群は、「キャラ」のレヴェルの読み、すなわちテクストの背後に「人間」を見ないという読みはまったくできない(か、していたとしても強く抑圧し、意識化しない)ようである。

 同じオタク文化に分類されるとはいえ、マンガと違って特撮ヒーロー番組なんてのは、たわいのない子供向けの物語とさげすまれ、権威とは最も遠いところにある。しかし、であるがゆえに、面白いものを面白い、つまらないものをつまらないと言う、通用するのはそれだけである。人間が描けているだの物語が描けているだの、そんな文芸理論など何の役にも立たないということを何よりも知っているのが特撮ファンである。
 権威を、あるいは反権威を旗印にして、ポストモダンがどーしたこーしたと、こけおどしの理論武装にコロリとまいったりしているマンガファンを傍から見ていると、特撮ファンとしてはコッケイとしかいいようがなかったりするのですよね。

Comments

差し出がましいようですが(自重)、年来の持論なので披瀝させていただきたく存じます。

レフ・トルストイの『戦争と平和』よりも『イワンの馬鹿』は程度の低いのか? 読者対象は、たしかにイワンのほうが低く想定されています。
でも、それだけの話。お話としての優劣はないのです。
子供番組もそれと同じことで、子供向けだから低レベルと考えるのは根本的な誤りです。馬琴の八犬伝は、それこそ他愛も無い非科学的w冒険活劇ですが、作者がそれに込めようとした想いは非常に崇高なもので、そういう意味じゃ源氏物語より上なんです(文章自体もそうだろうな)。

僕はアニメ・漫画の権威付けって嫌ってまして、理由は「権威付けされた作品が、ガキ向け王道娯楽作品より優れてるなんて錯覚を起こしかねない」からです。
昔のファンにしてみれば、「これは子供向けの幼稚なものじゃないんだい!」と強弁しなければ「恥ずかしくてたまらなかった」のでしょうが、では、「大きいお友達」に受けた作品が優れているのか? 答えは「作品による」としか申せません。
んなことやった結果が、「見るべき作品が顧みられない弊害を生んじゃったんじゃないか?」というのが僕の偽らざる懐疑…(^^;

「物語など、所詮は幼稚な願望を満たすもの」と言い切ってしまっても良いのかも知れません。

僕は、いわゆる「萌え」諸作品てやっぱ堕落だと思ってる「保守的」な人間でして、ああいうのは
「いやぁ、俺はこういうの好きなの! ね? くだらなくっていいの! 好きなんだからさ。別に人に誉めてもらいたいわけじゃないんだよ」
と一番正直な感慨を述べればいいだけだと思ってます。世の中、難解・深遠・晦渋な作品だけが良いというわけでもないのですから。一歩引いた感覚でいてほしいというのが率直な所ですね。

そっすね〜、自分がかつて愛していたからということを考慮せにゃならんとは思いますが、昔の作品のほうが僕は好きですね。何かこう、強引に作品世界に引きずり込んでくれるような感覚があるんですよね、昔の作品は。今のはもう、「そういう世界を好きな人が、そういう世界を好きな人のために作ってる」ような感を覚えます(萌えってモロにこれでしょう)。

これはある程度「客観性」があると自負してますが、「物事には、何事も『旬』が有」り、やはり昔の特撮・アニメはそういう「旬」の時期に、たまたま傑作が生まれたんじゃないかと。
で、旬は常に続くものじゃーございませんから。またこの後に黄金期を迎えるかも知れませんし、このまま衰亡して「マニア向け」作品のみが細々と作られるようになるかも知れません。

変に擁護する必要はないと思うんですよね。批評家の言うことがバッチグーな時もあれば、単なる錯誤である場合も考えられる。それを確認し得るのは「己の鑑賞眼」しかないんじゃないかと。
特撮は、子供しか見ないという偏見にして実情のおかげで、漫画・アニメほどには「汚染」されてないと思います。そういう意味で、一番「健全」なんじゃないかな?

  • デンジロボ Mark2
  • 2008/05/28 12:44 AM

 あんまり気をつかわないで気楽に書き込みをしていただければいいのですけど。

 なかなか返答のレスを付けることができなかったのは、「大人向け作品」と「子供向け作品」というのは何が違うのか、ずっと考えていたわけです。
 特撮なんかでも、「大人の鑑賞にたえる作品」なんて持ち上げられたをするでしょう。しかし具体的にどういうのが「大人の鑑賞」なのか。あまり真剣な考察もなされていないような気がするんですよね。
 たとえば、善行は必ず報いられ悪人は必ず罰せられる、という世界観から構成されているのが子供向けの作品であって、世の中は必ずしもそうならないと描くのが大人向けの作品であるという言い方はできるかもしれません。しかしたとえば『ゴーグルV』は本当に子供向けなのか。リアルタイムで見ていたときは大して気がつかなかったのですが、よく見ると、ミキって結構ミスをやらかしてるんですよね。しかも、彼女のやさしさ、正直さゆえの失敗なんですよ。困ってる子供たちを慰めようとして思わず声をかけてしまったために、ミス・テレサの偽装工作をマズルカに見抜かれてしまった第20話とか。彼女は決して「無敵のお姉さん」ではなかった。そして、そうであるがゆえに、彼女のことが好きだったのではないか。私は、『ゴーグルV』は子供向け番組だと思っていたし、子供向け番組だからこそ素晴らしい、と思ってましたけど、実はそうではないのではないか。
 じゃあどういうふうに考えればいいのか、ちょっと今途方に暮れているところなんですよね。
 そういえば『バトルフィーバー』なんて、善人が結構死んでましたね。

大人向け/子供向け…、たしかに客観的指標は確立されていませんよね。基本、アニメは子供向けですし、特撮は『日本沈没』みたいなものは大人向けと言えるでしょうけど、普通にいうヒーローものは子供向けでしょう。
制作者が本来ターゲットにした年齢層が子供であれば子供向け、かな? でも、ゴッドマーズなんか、その中心ターゲットを超えてお姉さんのファンもできましたし。これは昭和50年代のアニメ全般に言えることです。

大人の鑑賞に耐え得る、というと、実に難しい。細かい考証や人物設定にツッコミを入れると、「30歳以上がマトモに見られる」アニメなんか皆無のような気もします。
映像自体、でしょうか? 映画などでキレイな画質のアニメ・特撮を見せられると、「これなら大人が見ても恥ずかしくないかな?」なんて気分になる時もありますけど…、やはり内容的に「本当の意味で大人がマジメに見れるような作品」というのは今も昔もほとんどないのではないかと思います。

と言うより、先入観で大人って「アニメ・特撮なんてガキが見るもんじゃん」と思ってるわけじゃないですか? いい年こいて「俺、バトルフィーバー(のマリア)が好き」とか公言するような人間はまだ新しい存在で、昔に行くほどゼロに近かったでしょうから。

それと、アニメ・特撮をオッサンになっても愛する人間ていうのは、「超常現象を映像で見たい!」と思ってる人たちですから(いや、アニメファンには普通のラブコメ見たい人も多いんでしょうけど)、普通のドップリ生活にまみれた人にしてみれば「変わった息抜きしてるよなー」と思われるかも知れません。
けっこう自分自身、バランス感覚が働いてるのか(苦笑)、ロボットアニメ見た直後に漁師のオッサンの番組を見たりもしますけど、実生活を見せられると、どんなゴタク並べたアニメだって、所詮はガキ向け、と思えちゃいますよー(爆笑)

ただまー、こういうことは言えると思います。
「作家は、対象が大人だろうと子供だろうと、作家として表現したい・伝えたいものを作品化しているのだから、対象年齢を尺度に優劣・善悪・可否を決めるのは愚かなことだ」
この点こそ、トルストイの『戦争と平和』と『イワンの馬鹿』に通じるんじゃないかと。

この前、バトル・フィーバーで、「勉強でライバルの級友が死んじゃえばいい」と思う女の子の話を見たんですよ。で、実際に死んじゃうわけ。こーゆーのって、けっこう身につまされる、と言いますか、子供番組ってそういうの多いんですけど、大人的リアリティとは違う意味でぞっとするようなリアル感を覚えますね。
子供向けの話って、寓喩的なものが多いような気がします。ですから、ジャリ番を馬鹿にしちゃいけない、と。市川森一さんの作品とか、そうでしょう。
大人向けの定番中の定番、大河ドラマとか時代劇も、けっこう子供番組に通じる所はあると思います。考えようによっちゃ、水戸黄門よりもザ☆ウルトラマンのほうが「精神世界的な意味での年齢は高い」かも?(^^;

 『ドラえもん』に「正義のみかたセルフ仮面」という話があるんですが、そこでヒーロー番組『あらわし仮面』を夢中になって見ているのび太に対して、ドラえもんがこういうセリフを言うシーンがあります。
 「よくあんなものに夢中になれるな。いい年して単純というか何というか」
 いい年って……。
 お前が言うなあーっ!!
 対象年齢が高い低いを言うなら、ヒーロー番組より『ドラえもん』のほうが絶対に下だってば!
 大人向け作品と子供向け作品とで、どっちが上等でどっちが下等かという話をするつもりはない、ということをまず前置きしておいて。子供向け作品の特徴としてあるのが「時間」の描き方じゃないと思うんですよね。
 たとえばジャイアンはしょっちゅうバットでのび太の頭を殴ったりしてますが、現実にあんなことしたら大ケガするに決まってるでしょ。しかし次のコマではのび太の頭にコブができる程度だし、さらに次のコマになるとコブもきれいに消えている。何が起こっても死なないし、ケガもしないし(しても即座に治る)、年もとらない。肉体のみならず、精神的にも何も成長しない。時の流れがぐるぐると同じところを回っている、これが子供向け作品の特徴と言えるのではないか。(あらためて断っておくけど、だから子供向け作品が大人向け作品に比べて劣っているとか言いたいわけではない。)
 ヒーロー番組なんかでも、敵がやってきてそれを撃退して、と同じことを毎週毎週ずっと繰り返しているという点では子供向け作品ではあります。ただ問題は、一年間もそういうことをずーっとやっていたら、ヒーローだって成長してしまうんですよ。桃園ミキなんかは特に。本サイトのほうで詳しく書いたことを繰り返すことは控えますが、たとえば序盤では泣いている子供を前にオロオロするだけだった彼女が、終盤になると同じ状況で「大丈夫。きっと私たちが助けるわ」と子供にしっかりとした声で話しかけたりとか。(制作者としてはどこまで意識していたのかは分かりませんけど。)
 子供であれば、ミキのことを無敵のお姉さんと見ていたかもしれません。しかし大人になって改めて『ゴーグルV』を見て、彼女のことを依然として無敵のお姉さんと思っているようではイカンのではないかと。(このへん前に書いたことと矛盾してますが、まあ私もこうやってデンジロボ Mark2さんとの対話を通じて成長しているということでご容赦を。)一人の少女が仲間の4人の男たちと一緒に戦っていく中で、大人へと成長していく物語として見るのでなければ、今でも彼女のことを好きだという資格はないのではいないか、などと考えたり。
 まあそういう点で言えば、藤子F先生も『ドラえもん』を6巻の「さようなら、ドラえもん」でいったん終わらせようと思った心境のことを考えると……。

 デンジロボ Mark2さんは今『バトルフィーバー』を見ているということですが、汀マリアについてはどうですか? 私はリアルタイムでは見てなくて、大人になってから初めて見ましたが、やっぱり頼りないという印象のほうが強いです。無敵のお姉さんという感じはしないですね。登場第一回目からして護衛の任務に失敗してるし。そういう失敗を繰り返しながら一生懸命がんばっている彼女に、それこそ「保護欲」なんか感じたり。
 第36話なんかいいですね。(黒田官平とイガアナ博士も出てくるし。)

あー、最前の自分の投稿と矛盾しちゃうかも知れませんが、
「萩さん、かわいいな〜♪」
なんて気分で見てる面もありますね(^^;
いや、BFで一番好きな俳優は大葉健二さんですし(ゴーグルVだと春田さん)、やっぱ率直にヒーロー活劇が見たいのですけど。

マリアに関しては、「役立たず」というよりは「便利なヤツ」みたいに思えますね。家庭教師に変装してエゴス怪人に接近する回を見ましたが、あれなんか、BF5人ではマリアが恰好ではないかと(潜入工作はミキもやりますよね)。
あ、BFが「面子が濃すぎ…?w」な点を考慮しても(後のシリーズに比べても、あんなに濃厚な面々は再来してないでしょ〜)、マリアは結構「うってつけ」な人材に思えます。
マリアがトチったり、エゴスの標的にされる回もありますけど、あれを「女だから…」と解釈するのもいかがかと。女性戦士ですと、善くも悪くも目立つんじゃないでしょうか? たぶん、ほかの4人の男の誰でも、同じように陥れられたりするんじゃないかと。僕が男ですから、かえって「女性だから弱い」なんて視点で見ないのかも知れません。

いや、問題なのはマリアよりダイアンですよ! ホントに遊んでばっかにしか見えないんだから!
(^^;

「保護欲」…。う〜む、ボクなんか保護欲って視点から女性に魅力を感じたりする世代でもないからなぁ。ま、少なくともマリアはそういう対象ではない(笑)。
変な話、むしろ「同情」して「感情移入」することのほうが多いです。具体的には『超時空要塞マクロス』のリン・ミンメイ、『ザ☆ウルトラマン』のアミア(ウルトラマン・ジョーニアスの妹)ですね(ザルトラマンDVD、買ったんですよ…)。何かこう、報われない愛に生きてるヒロインを見ると、そのヒロインのハッピーエンドを祈念してしまうような、ね。自分がそのヒロインに惚れてるわけでは全然なく、そのヒロインの心情が解るもんだから、そうですねぇ、自分の姉の片思いが成就してほしい、というような気分ですね(子供ん時に見たお姉さんだから、今もって「お姉さん」なわけです。ミンメイなんて、ホントにそんな感じで見てました。だから、ミンメイに惚れた世代の男性とはアプローチ角度が全く異なると思います)。
これは、自分の性別は何の関係もないですね。一連のヤマトの宇宙人ヒロインもそっすね。

ん〜、桃園ミキが沈んでる情景を見たら、その「保護欲」を刺激されるかも知れませんが、どのシリーズでも実際にそんなシーンはあまり無いので(描く時間が無い! ヒロインにそんなに時間を割けない!)、…むしろ同情するかなー、どうだろ?
可憐な少女、というと、タイムボカンの淳子ちゃんですかねー。あれは、たしかに保護欲をそそられていたかも知れない。

最後に「マリアをどう思うか?」
「海水浴に行って一目ぼれした女の子」
「喫茶店で一人で座ってるところに、強引に相席を願い出て、そのまま交際してしまう(しまいたい!)女の子」
って感じでしょうか? 何だ、別に戦士でなくたっていいじゃねーか!、と我ながら自嘲するような回答ですが(爆笑)。
あ、マリアに限らず、これがダイナマンまでそうですw(サンバルカンは…う〜む)
ヒロインをキャラクターとして見た時、そのヒロインが戦士であるか平凡な一女性であるかは無関係だと思います。やはり、戦士である以前に女性、なんでしょうね。

  • デンジロボ Mark2
  • 2008/06/11 2:54 AM

 いや、第36話でもエゴスが言ってますよ。「しょせんは娘」って。
 他にも、彼女だけ別扱いされている部分というのは結構あります。名前を呼ぶのも他全員「おい、ジャパン」とかコードネームなのにマリアだけ「マリア」。ウェディングドレスへの憧れで、普通の女の子っぽさを演出するなんてのもあったし。
 当時、こういう細かい部分というのは、多分メインターゲットである子供たちは気付いていなかったでしょう。社会においては、男には男の、女には女の役割というものがあるなどということは、小学校低学年生にとっては実感を伴って理解できるものでは決してないし。
 自分が子供の時に見ていたテレビ番組を、大人になってから見直したとき、やはり当時と同じように感じるというわけにはいかないと思います。現代日本に生きている限りは、好きな女の子がピンチに陥れば「守ってあげたい」という感情を抱くのが普通でしょう。それが、たとえ自分が普通の男で、相手がFBIの捜査官で格闘技の有段者であったとしても。
 たとえばマリアみたいな女の子とデートしている最中に、エゴスの怪人が襲ってきたとする。「ここは私にまかせて、あなたは逃げて!」なーんて言われたらどうしよう……なんて想像したりしませんか。そんなこと言われても男のコケンが、とか……。
 ……いやしてないならいいんですけど。

 まあ、そこが「大川めぐみファン」を自称している連中に対して私が不信感を抱いている理由でもあるんですよね。当時の子供たちにとっては、彼女こそはまったく、頼れる無敵のお姉さんであった。そして未だにそんなふうに思っているんじゃないのかしら。現実は、芸能界をあっという間に惨めに追出された、元アイドルというだけの凡庸な一人の女性にすぎないわけですよ。今でも彼女のファンだというのであれば、彼女に対して何かしてあげたいと思うのが当然でしょ。しかし、じゃあ何をしたらいいのか。そういうこと考えたりしてるんだろうか。まあ考えたところで、ファンとして彼女にしてあげられることなんて何もないんですけどね。だいたい、大川めぐみの名を捨てたのは彼女自身なわけですから。
 自分からは何か行動を起こす気もなく、人から情報を与えてくれることをただ待っているだけのくせに「ファン」などと名乗る連中には、ほとほとうんざりしてるんですわ。
 まあどうでもいいことですけど。

そう言えば、「左手怪人」の回でマリアが剛速球を打つと宣言した時に、他のBFメンバーが「女だから」と言ってたな〜。

デート中に襲われたら、か〜。マリアがBFだと知らなかったら、やっぱセオリーどおり、「君は逃げろ!」とか言っちゃうんじゃないかなぁ?(知ってたらどうするだろう?…と考える以前に、BFメンバーとつきあうだろうか?←いやなとこでオッサンになってるw)。
ワタシ、今でこそ円満になりましたが、昔は女の子とデート中にホントにヤバい青年にケンカ売ったようなこともありまして…、まぁ血の気の多い男だったんです(^^;

いや、二十何年かぶりにBFを見返して、演出面で感じましたのは、
「マリアの超人性を強調している!」
ことでした。登場直後のマリアってスゴイんですよ! マンションの一室でバク転かますとか。当然、子供はスタントマンなんて知りませんから(更に言えば、「中の人」も萩奈穂美さんや大川さんがやってると思っている!w)、あのOPの連続バク転を毎回見せられて、否応なしにマリアが超人だと刷りこまれていく(いっていた)わけです。
今思うと、途中でダイアン→マリアの交代劇がありますから、視聴者にマリアを印象づけるためにそう演出したんでしょうけどね。
不思議と、すぐ交代だったせいか、バイオ・イエローは特に何も感じませんでしたね〜。映画まで見に行ったのに(どうでもいいけど、人生初映画が東映まんがまつりで、バイオマンでした)。

大川さんのその後の芸能人生ですが、ワタシはやっぱ「芸能人に関心をいだくほどでもない」一介のクソガキでしたから、あんまり細かく考えたこともなかったんですよ。
だって、女優さんというのは(いえ、芸能人というのは)、ごく一部の方だけがマスコミで騒がれて、圧倒的多数は一般人にはあまり情報(特に私生活)が入ってこないもんですし、ましてガキ向け雑誌では、役者、という解説のされ方もしないんですよね、あくまで作中の1キャラという感じでしか。あの、当時テレビ出まくりだったストロング金剛でさえ(苦笑)。

いや、僕なんかもね(笑)、ゴーグルVのお姉さんを(昔)好きではあっても、それ以上の何かをしたことはないんですよ。近年になって久々に見て「やっぱカワイイな〜♪」とか思った程度で。例の『宇宙船』の頃はあまりにガキでしたし。
女優さんというのは、ずっと女優さんをやり続ける方もいれば、すぐやめちゃう方も非常に多いので(芸能業はあまりに特殊な世界ですからね)、「どっかで仕事してるんだろうな〜」とか思っているぐらいで、いちいち細かくチェックなんかしなかったんです。近年になって、Wikipediaでずら〜っと一覧が見れるようになって、「今度レンタルでも行ってみるか」と思うようになったぐらいで(笑)。

何かしてあげる、…そうですね〜、何かイベントでも開催してご招待する、ぐらいでしょうか? いや、内輪に近いレベルのファンの集いみたいのでもいい。僕がゴーグルVの頃にもっと大きかったら何かできたかも知れませんけど、そういうのに気づく頃には大川さんはとっくに一線をお退きでしたから…。どうしても結果論になってしまいます。
あと、まぁあまりアテにならない情報なんですが、今の大川さんはご結婚され、ご主人様が空手だかをやってる方だそうで、大川さんも空手をおやりになって、ご主人様と円満にお暮らしだとのこと。そういうシアワセな人生を送ってる女性を、昔のゴーグルVファンが引っ張り出すのも、僭越かなぁ、と想う気持ちもあるわけです。ご本人が幸せであれば、何も芸能業をやっていただくこともない(と思う)わけで。
ゴーグルVの再評価、でしょうか? 今の僕(たち)に課せられた使命は。それ以上のことは「やっていいものか?」という懐疑の念があるんですよね、これ、大川さんに限ったことでもなく。干渉、まで行ったらヤバイよなぁ、と(実際、かつての特撮俳優に、度を越した接し方をしているファンの悪評も聞くに至っては)。

そりゃ、春田純一さんみたいにずっと役者をやっておられれば一番うれしいんですけど、芸能界ってよっぽど運が良くない限り続かないから。難しい所です。

  • デンジロボ Mark2
  • 2008/06/18 12:51 AM

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