白倉伸一郎の降格(後編)

からの続き)さて結論である。
 白倉氏に対しては、『アギト』や『龍騎』を作っていた頃は天才だったが今はカス、と評価する人が多いようだ。しかしそれって「司馬史観」と同じ気持ち悪さを感じる(明治の日本は良かったがそれ以降ダメになった、という例のやつ)。仮面ライダーを、「大人の鑑賞に堪える」高いドラマ性を持った作品としてヒットさせたということと、粗製濫造して衰亡に導くということとは、連続した流れの上にある。分けて考えることはできない。今まで長々と論じてきたのは、そういうことである。
 東映が今まで時代劇や任侠物で延々と続けてきたパターンに、仮面ライダーを乗せることに成功した。そういう意味では白倉氏は間違いなく秀才プロデューサーだったであろう。そして、東映という会社のやり方そのものを変えることはできなかったという点では、秀才どまりであったとも言える。
 平成仮面ライダーが始まった最初の三年くらいは良かった、と言っている人は多い。あの頃の作風に戻って欲しいなどという望みを持っているファンもいるだろうが、しかしそんなものはもう捨てたほうがいいと思う。既にサイクルは一周した。
 今度の『スーパーヒーロー大戦GP』、戦隊は本当に申し訳程度にしか出てこないらしい。これはもう東映としても本気で仮面ライダーを使い潰すことを視野にいれ、せめて戦隊だけでも切り離して延命させようと考えているのではないか、ということを私は割と本気で勘ぐっている。もともと仮面ライダーとスーパー戦隊というのは歩んできた歴史も違うしファン気質も違う。歴代戦隊集合映画なんてのも、明らかに『ディケイド』に無理矢理おつきあいさせられたようなものだ。戦隊シリーズは昔から日の光を浴びることなく延々と続いてきたんだし、今後も細々と続いていけばいいということに、大方の戦隊ファンは同意するだろう。
 しかし、一度は華やかなスポットライトを浴びてしまったライダーファンは、再び日陰者の立場に戻ることに我慢できるかどうか。

 最後に白倉伸一郎先生の2013年3月26日のツイートから。

「龍騎以降は仮面ライダーじゃないから見てないけど」「30分のCMでしょ? だから見ないけど」という人にライダーの取材を受ける。10年前なら噛みついてたな〜。今は普通にニコニコ流せる。
 これって二通りの解釈ができるな。
 勝利宣言ととるか敗北宣言ととるかは読む人次第、か。

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