『ウルトラマンメビウス』の大迷惑

 私自身はウルトラシリーズのファンではないし、ウルトラシリーズが何をやろうが文句をつける筋合いはない。ただ、『ウルトラマンメビウス』(2006年)を感動的ともてはやすような風潮が、戦隊シリーズにまで伝播してきたりしたら大変なことになる。両シリーズの土壌の違いを無視して同じようなことをやったら無残な結果になることは目に見えていると、注意を促しておいたほうがいいのだろうか。あまり気の進まぬことではあるが。
 『メビウス』の中で特に話題になったのは、『A』と『80』に関するエピソードのようだ。この二作品に共通しているのは、当時「投げっぱなし」をやったという点である。『A』では南夕子、『80』では教師設定。目先の数字、つまり視聴率とか商品売り上げに目を奪われ、小さなファンたちの心を踏みにじった。その投げっぱなしにした設定を回収し、きちんとした決着をつけ、ファンは感涙にむせんだ――どうもそういうことらしい。過ちは償わないよりも償ったほうがいい。しかしだったら最初から過ちをしなければ、もっとよかったはずだ。
 その点戦隊シリーズは、投げっぱなしというのは余りやらない。ファンの思い入れを大切にしないという点では、東映だって決して人後に落ちないはずだが、なぜか最終回の決着だけはきちんとつけることが多い。きれいに終わった話には、後日譚は作れない。無理して作っても蛇足になることは確定的だし、それでもなんとか頑張って、作品に対する愛情と優秀な技量を持ったスタッフをかき集めて全力投球したところで自ずと限界はある。
 それにしても、円谷プロだって別に改悛したわけではないだろう。商売の都合で状況によってクルクル方針を変えているだけで、ファンもよくこんな筋の通らない掌返しを許す気になれるな。その「おおらかさ」こそがウルトラファンのいいところなのだ、と言えば聞こえはいいが、それが頑固さとか、筋を通すことを軽蔑する風潮にもつながっているんじゃないの。そしてそれは、篠田三郎氏を大した根拠もなく裏切り者呼ばわりする人たちが、決して多数派ではないにせよ根強く存在していることと、無関係ではないような気もするけどね。

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