スーパー戦隊魂など存在しない(後編)

(承前)

やっぱり戦隊って子どもたちが観る番組ですから、「こんなお兄さん、お姉さんになりたいな」と憧れてもらえるような存在を目指してほしいですね。そのためには表面的、外見的なことだけじゃなく、心構えというか、内面も磨いていくと、より子どもたちの心に響くような気がするんです。(『東映ヒーローMAX』vol.40(2012年3月)成嶋涼インタビュー)
 いかにも『ファイブマン』らしいなあ、と溜め息が出る。
 『ファイブマン』の特徴を一言で言えと言われたら、「ヒーローは無前提に子どもたちの模範であるべしと考えられていた時代の最後の作品」ということになろう。教師という設定は伊達ではないのである。翌年から、ヒーローに対して視聴者が抱く感情として「憧れ」よりも「共感」「親近感」が台頭してくるが、いずれにせよそういうのは昔の話だ。
 今の2010年代の戦隊にとって、子供たちが憧れを抱く対象はヒーローではなくて、ヒーローの手にするコレクションアイテムである。これをけしからんだの嘆かわしいだの言っても始まらない。今のヒーローには今のヒーローの事情があるのだ(少子化とか)。「昔は良かった」かどうかについては何も言えないが、「昔は今とは違った」のは確かである。
 さて成嶋氏である。
 多分、今の戦隊なんか見てないのであろう。
 『ゴーカイジャー』への出演依頼があった時、何を考えたのだろうか。子どもたちが憧れるようなヒロインを演じようと、自分は死に物狂いで頑張った、その血と汗と涙の結晶が、後輩の戦隊ヒロインたちにも脈々と受け継がれていると無邪気に信じたとしても無理もない話である。そしてインタビューで後輩に向かって何かエールをと言われ、別に先輩風を吹かせるつもりもなく、真っ正直に自分の思いを語ったのであろう。その結果として恥をかかされたとあっては、お気の毒としかいいようがない。宇都宮プロデューサー以下、先達の魂を受け継ぐ番組にする気など最初からなかったわけだが。
 さてその宇都宮ブロデューサーだが、次の40th記念作『動物戦隊ジュウオウジャー』を担当することに決まった。何をやるのか知らないが、どうも最近、戦隊OB・OGで、ブログやツイッターでなんか妙に自分の戦隊愛をアピールしている人達が急に増えたような気がして仕方がない。
 また見苦しい真似を演じなければいいのだが。

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