公式に失敗作認定された『ギャバン THE MOVIE』

 白倉伸一郎氏「決して失敗だったとは言いたくないですが……」
 プロデューサーという立場にあるものが、こんなことを公の場で言っていいのだろうか。これって、失敗だったと言ってるのと同じだぞ。
 『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』(2012年)は私は見ていない。見る予定もない。それは、誰の目から見ても失敗作としか言いようのない、ひどい出来ばえの作品だったのだろうか? だからといって、こんな発言をしていいとは思えない。
 たとえば鈴木武幸氏は、1981〜1995年の15年間戦隊のプロデューサーをつとめた人だが、自分の関わった作品について、こんな発言はしたことがない(「成功だった」とは言う)。自分一人で作った作品ではない。脚本やら監督やら音楽やらデザインやら、莫大な数の人間が力を合わせて作った作品である以上、いくら自分が最高責任者だからといって、軽々しくしていい発言ではないだろう。ファンに対しても失礼である。『ギャバン THE MOVIE』がどれほどつまらない作品であったとして、それを心ゆくまで楽しんだ観客はいるはずだ。プロデューサーがこんな発言をしたことで、スタッフにとってもファンにとっても、一体どんな得があるのだろうか?
 だいたい作品が成功か失敗かなどということが、そんなに簡単に決められるものだろうか。たとえば東映の『柔道一直線』は高視聴率にもかかわらず大赤字だった。ところがその作品の制作過程で蓄えられたノウハウは、『仮面ライダー』に生かされ莫大な利益を生み出した。こうなると赤字だから失敗作と簡単に決めつけられるものでもない。
 ひょっとしたら今の東映というのは、プロデューサーが「来年の戦隊はこういうのにする」と決め、スタッフはその手足となってその構想を忠実に実行するだけ、というふうな制作体制になっているのだろうか。だとすれば、プロデューサーが作品の成功・失敗に対して一人で全責任を背負っている気になるのも不自然ではない。しかし、だとするとそれは創作の現場としては、かなりまずいことではあるまいか。そこでは「たくまざる傑作」というのは絶対に生まれないのだから。
 というか、そもそも今の東映特撮は本当に「創作物」なのだろうか。単にベルトコンベアに乗せられた、工業製品のような気がしてくる。昨今の、とにかく話題を作って客が入りさえすればいいという映画作りの手法を見ていたら。そして、そんなやり方を続けていけば、先細りは目に見えている。

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