高寺成紀はなぜ戦隊を悪く言わないのか(後編)

 (承前)『カーレン』『メガレン』『ギンガ』の三作は、戦隊シリーズとしては理想的な成功を収めた作品であったといえる。ところがそのチーフプロデューサーを務めた高寺成紀氏は、『語ろう』本に載ったインタビューなどから判断する限り、不本意な失敗作と思い込んでいるようだ。
 スーパー戦隊シリーズがかくも長きにわたって成功を続けてきたその秘訣は、保守と革新のバランスにある。伝統的なノウハウをおおかた受け継ぎつつ、時代の変化に応じて少しずつ古いものを捨てたり新しいものを付け加えたりしていく。「この作品から戦隊の歴史は変わった」というような急激な変化は必要ない。必要なのは、時流とともに徐々に変わり続けることであり、それはまた難度の高いことでもある。そして上記の三作品は、確かにそれをクリアしている。
 ところが高寺氏は、自分の手がけた作品は100%革新的なものでなければならない、と思い込んでいるように思われる。
 もちろんそれは勘違いなのだが、その思い込みが奇跡的にプラスの方向に働いたことがある。『仮面ライダークウガ』(2000年)である。仮面ライダーシリーズ十年ぶりのテレビ放映とあっては、さまざまな想定外の事態が次から次へと降りかかったことであろうし、それを乗り切るためにはバランス感覚よりも、思い込みが生み出す突進力のほうが、役に立ったのかもしれない。
 そして平成仮面ライダーも作品数を重ね、安定期に入ることが望まれるようになった時、そのような手法は仮面ライダーシリーズからは不要になったのである(もちろん2005年の『仮面ライダー響鬼』のことである)。
 高寺氏がプロデューサーとして有能な手腕を持った人であることは疑いえない。実際戦隊シリーズで実績を上げた。そしてそんな人材を、映画やテレビ番組制作の現場はいつでも喉から手が出るほど欲している。ところが高寺氏の思い込みが、氏に働き場所を与えない。だいたい『クウガ』にしたって東映の血を受け継いでいる部分も決して小さくはないのだが。しかし『クウガ』は非東映的な作品なんだ、100%革新的な作品なんだという思い込みを、氏は近年ますます強めていっているような気がする。
 なんか色々もったいないことである。

Go to top of page