誰が橋本環奈を殺したのか?(後編)

 (承前)『セーラー服と機関銃 -卒業-』に関するレビューを集めていたら、「アイドル映画だからストーリーは要らない」という意見のあまりの根強さに暗澹たる気持ちになった。
 要らんわけないだろう!
 一般映画には一般映画の文法があるように、アイドル映画にはアイドル映画の文法というものがあるのだ。それは一般映画の文法(起承転結とか)とは違っているから、見慣れていない人からは意味不明なことをやっているようにも見える。しかし本当にすぐれたアイドル映画を作るのは、難度の高い作業である。すぐれた一般映画を作るのと同様に。
 美少女がいる。その資質を見極め、どのようなコンテキストに置けばその美少女を最も美しく光り輝かせることになるのかを考え、そしてそれを元にストーリーは作られねばならない。『セーラー服と機関銃』の旧作もまさにそのような映画である。しかし現状は美少女が顔アップでカメラにニッコリ微笑んでさえいればファンは満足するだろうとしか考えていない連中によって現場は占められているし、そして実際ファンもそれに満足している。
 橋本環奈氏は、当初はあどけなくかわいい女組長を無難に演じることを期待されていたに違いない。ところがいざ撮ってみれば牝虎だった。ファンとしても期待の外のことであっただろう。まあそれはそれで「環奈ちゃんはこんな演技もできるんだ」という楽しみ方をすればよい。しかしその牝虎は、悪党どもの喉笛を次々と食い散らかしていくわけではないらしい。千年に一人の逸材だというのが本当だったとしても、その「怪演」を見るためだけに、退屈なストーリーは我慢しろというのであれば、ファン以外の人間にとっては観に行きたくなる気持ちなど起きるはずもないのだ。
 アイドル映画をなめるんじゃない。
 ヤクザの組長がハマっている十七歳の美少女。例のレビューが本当だとすれば、なんと希少な資質ではないか! そんな類まれな才能を持った少女を、そんなもったいない使い方をしているのか。面白いドラマチックな話がいくらでも作れるだろうに。
 え、そんな資質、普通のドラマじゃ使いようがないって?
 だったら特撮によこせ。いや、来てください。お願いします。

Go to top of page