『サイボーグ009』とポリティカル・コレクトネス

 島本和彦『アオイホノオ』の主人公は、大学生時代の作者がモデルである。1980年ごろのアニメとかマンガとかの話が出てきて面白いのだが、『サイボーグ009』の二度目のアニメ化(1979年)が始まった時、主人公がそのオープニングを見て大感激をするというシーンがある。サイボーグ戦士が一人ずつ画面に出てきてはその能力を見せるのだが、それがいかに素晴らしいセンスで演出がなされていることかについて事細かく延々と力説する主人公。しかし私は003のくだりで噴き出してしまった。
サイボーグ
 みもふたもないことを。
 やっぱりみんな003のことをマスコットヒロインだと思っていたんだな。戦士じゃない。
 『ジャッカー電撃隊』と『サイボーグ009』は、どちらもサイボーグ戦士団の戦いを描いた、石ノ森章太郎の作品である。片や打ち切り、片や石ノ森の代表作扱い。ずいぶんと差がついたものである。
 ところが、『ジャッカー』の流れを汲むスーパー戦隊シリーズは、男と対等同格の女戦士を登場させ、戦士としての強さと女の子としてのかわいらしさの両方の魅力を持ったヒロインを打ち出し、大きな成功をおさめた。それに対して女の子としてのかわいらしさしか持たされなかった『009』の003は、言っちゃ悪いが、今見ると大して魅力的なヒロインではない。
 2001年には三度目のアニメ化となった『009』だが、他のサイボーグたちは大岩を軽々とジャンプする一方で、いちいち男たちに手を引っ張ってもらわないと岩も登れない003は、はっきり言って変すぎる。なんで一人だけ性能がこんなに違うの。
 『009』の原作が初めて世に出たのが1964年である。今読めば、偏見や差別と受け止められる可能性を持つ箇所も多い。それがリメイクのたびに問題になる。原典のままにするのか、修正するのか。適宜判断していくしかないだろう。しかし2001年版のアニメは、人種・民族に対しては、神経過敏と言ってもいいくらいの修正を施しながら、性に対してはほったらかし。
 石ノ森プロの問題意識って一体どうなってんのよ。

特撮ヒロインの女性学 第二章

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