ペギー松山論 あるいは変身前アクションの必要性

 近日中に大幅にリニューアルして、戦隊ヒロイン全般について取り扱うサイトにしようと思っているのだが、その第一弾としてペギー松山論をUPするつもりである。しかしこれが全然筆が進まない。
 特撮ヒロイン史上におけるペギー松山の位置づけについてなら、いくらでも書ける。最近の戦隊しか見たことがないという人でも、彼女の偉大さについて異論をさしはさむことはできまい。というか、既に「特撮ヒロインの女性学」ですでに書いたしそれに付け加えることもないのであるが、そうではなくて、ペギー松山自体の魅力についてだ。
 書けば書くほど近年のヒロインの批判になってしまう。
 彼女が持っていた魅力というのは、すべて最近のヒロインが失ってしまったものだからだ。
 時代の流れに従って戦隊ヒロイン像も代わり、新しい魅力を加えた結果として古い魅力を捨てた、というのではない。単なる劣化である。
 たとえば、最近の戦隊でも、一年に一度くらいは、変身前アクションがある。
 変身すれば強いんだから、変身して戦えばいいんでないの? なんで変身前アクションなんかする必要があるの? 最近のファンならそう思うかもしれない。だが、一見ムダに思えるようなことが、作品の強度を支えていることはよくあることだ。だから、昔みたいにやるのは無理でも、せめて一年に一度くらいは、と思ってやらせているのだ。
 作り手の側はそのことは分かっている。
 一年に一度やる程度のことで何が変わるものか、と思う人もいるかもしれないが、私はその作り手の心意気は買う。
 分かってないのは見ている側だ。
 昔の戦隊なんか観たことない連中が、昔の戦隊について勝手なイメージを抱いたまま、ブログとか掲示板とかでデタラメなことを書いていても、まあ仕方ないなあとは思う。しかしかなりの高齢者のはずなのに、そういうことを書いてる連中がいる。
 やっぱり老人になると記憶もぼけ、感性も磨耗するんだろうか。ああはなりたくない。
 とにかく、今後歴代戦隊ヒロイン全員について書くつもりなのだが、ペギー松山の魅力について論じることができなければ、何も始まらない。

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