『ドラえもん』は子供の読み物

どっちも自分が正しいと
てんとう虫コミックス1巻「ご先祖さま がんばれ」

 藤子・F・不二雄先生も、まさか本気でこんなことを考えていたわけではあるまい。『ドラえもん』は小学生の読み物だから、それに合わせて程度を落として書いていたのであろう。普通の小学生にとっては、戦争なんて「正しいのはどっちか」という形でしか考えることはない。だからこそ、小学生の時にこのドラえもんのセリフに接した人は、新鮮な衝撃を受けたのだし、『ドラえもん』が優れた児童文学であるということの証左でもある。だが、いい年こいた大人が『ドラえもん』の名ゼリフを拳々服膺していたりするのは、それはやっぱりマズいだろう。
 もちろん、自分が正しいと双方が思っている戦争というのもある。だが、それがすべてではない。単なる領土拡張欲だったり、メンツや保身が原因で、「自分が正しい」なんてカケラも思っていなくて戦争を始める政治家なんて、有史以来数限りなくいた。そして大義名分なんてものは、後から考えるものである。
 F先生が終戦を迎えたのは、国民学校六年生の時である。そんな年齢で批判精神など持ちようもないし、おそらくは大東亜戦争が正義のための戦いであることを、固く信じていたに違いない。そしてその後、国民に死ねと呼号していた戦争指導者たちが、戦後になってぬけぬけと「自分は本心では戦争に反対であった」などと言い出し、大して心理的葛藤もなく面従腹背というのでもなく、米軍の対日占領政策に進んで協力していったことを、F先生はどのような思いで見つめていたのであろうか。果たして大東亜戦争は日本にとって「自分が正しいと思ってやった戦争」だったのか。一応断っておくと、連合国が正義で枢軸国が悪の戦争だったなどと言いたいわけではない。そんなのは論外。
 じゃあF先生は本当はどのような戦争観を持っていたのか。知りたきゃ『SF短編集』読めばいい。ちゃんと読者の年齢に応じて作品を描いている。

 昨今のウクライナやイラク・シリア情勢について、ツイッターを見ていたら、経済学も地政学も何も知らず、ただ「正しいのはどっちか」という観点でしか戦争について考えられないツイートばかりなことに心底呆れて驚いた。こういう世の中であれば、『ドラえもん』を読んでる人はそれだけでもマシなのかもしれない。
 F先生はあの世でどう思っているだろうか?

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