反面教師としての『ドラえもん』(その2)

恐竜ハンター
藤子・F・不二雄『ドラえもん』「恐竜ハンター」より。未来の世界で流行っている「おもしろいスポーツ」。狩った恐竜はペットにする。

 (承前)大長編第一作「のび太の恐竜」を子供の頃に見て、その懐かしい思い出を大人になってからも持ち続けている、というだけの人については別に何か言いたいとは思わない。だが大人になってからこの作品を読んで感動したなどと言っている人とは、絶対にお近づきになりたくないと思う。
 ピー助は生まれた時から人間に育てられ、自力で餌をとったことはない。それをもうこれ以上育てられなくなったといって、白亜紀に置きざりにされたのでは、常識的に考えて生きていけるわけないだろう。
 のび太のやったことは、飽きたからペットを捨てる人間の行為と何が違うのか。
 元はといえば、のび太がピー助を飼い始めたのも見栄のためである。
 この長編の中盤には恐竜ハンターというのが出てくる。悪役として。しかしドラえもんやのび太のやっていることが正しく、恐竜ハンターのやっていることが間違いであるということに何の根拠があるのか。やっていることは同じではないか。人間さまの都合で動物を飼ったり、またそれを自然に戻したりしているという点において。ドラえもんやのび太自身が恐竜狩りの経験者である。しまいには恐竜ハンターをなじるにあたって「航時法」という法律まで持ち出す。おい、セワシくんがドラえもんをのび太の家に送り込んだという行為が航時法違反でなくて何だというのだ?
 自己正当化しようとすればするほどボロが次から次へと出てくるドラえもん。
 ふだん勧善懲悪を書いたことのない作家が勧善懲悪物を書くとどうなるかの典型である。
 もちろん優れた作家である藤子・F先生が、この問題について苦悩しなかったとは思えない。そしてそれを瑣末な問題として無視することに決めたその瞬間、藤子・F先生は作家としての誇りを捨て、堕落への第一歩を踏み出したのである。
 スーパー戦隊や仮面ライダーにおいても、悪役というものは必ず登場する。そしてその悪役がなぜ悪なのか、具体的にどのような悪いことをしているのか。それは絶対に揺るがせにしてはならない最重点事項である。それを揺るがせにした瞬間、正義のヒーローは単なる暴力の行使者と何も変わらなくなってしまうからである。(続く)

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