パーマンをやることは義務なのか(その3)
藤子・F・不二雄『モジャ公』「ナイナイ星のかたきうち」。仲間が命を狙われているってのにこの態度。これで人気が出るわけがないだろ……。
(承前)『ドラえもん』にしろ『パーマン』にしろ、藤子・F・不二雄の児童マンガを大人になってから読んで違和感を感じるのは「責任感」というものの描き方である。
大きな力を持つ者は、大きな責任もまた背負う。その大きな力をふるうことによって、大勢の人々の運命を救うこともできるし、あるいは破滅に導くこともできるからである。にもかかわらず、ドラえもんやパーマンたちはなぜ重圧に押しつぶされそうにならないのだろうか。ドラえもんの四次元ポケットの中には、それこそ世界の運命を左右しうる力を持った道具が満載であるにもかかわらず。
藤子・F・不二雄の最も得意とするのは、小学生の日常生活という「狭い世界」を舞台にした日常ギャグマンガであり、『オバケのQ太郎』(1964年〜)が大ヒットして以来、そのジャンルで次々と名作をものにしてきた。ところがマンガ家というもの、「好き」と「上手」は一致するとは限らないようで、本当に描きたかったのは、宇宙や未来を舞台にして活躍する冒険活劇だったらしい。『モジャ公』という、作者の大のお気に入り作品は、不人気ゆえに一年ももたずに打ち切られている。
それでも作者は未練があったのだろうか、『ドラえもん』でも時々妙にスケールの大きい「広い世界」を舞台にした話が描かれることがある。しかしキャラクターは普段通り、「狭い世界」を舞台にした時の感覚そのままに動くから、色々変な所が出てくる。長編だとその傾向はさらに著しい。
ただしそれは結果的に『ドラえもん』の長編映画の人気向上には貢献したのではないか。子どもたちは、大きな力をふるって大活躍するヒーローに憧れはするが、その上で、大きな力を持つ者としての責任を背負わされるのはイヤなのである。そういう虫のいい願望を、『ドラえもん』の映画は充足させてくれる。そしてそれは大人が見たところで何の感動ももたらされることはない。
とはいっても『ドラえもん』は大人の鑑賞に堪える作品であるべきだなど思っている人などいるとは思えないから、別にそれはいい。しかし、スーパー戦隊シリーズがそれでは困るのである。(続く)
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Comments
私が考えるに、スーパー戦隊というキャラクターは”大人”だからこそ、大きな力を持つ者としての責任が背負わされなくてはならないと思います。
ドラえもんの主役となるのは、みんな子供です。頭も力も大人より数段劣ります。そんな重大な責任なんか背負いきれずに途中で放り出しそうなもんです。
大きな力を振るって大活躍し、大きな力を持つ者としての責任を弱音を吐かずに背負い続ける子供。こんな現実離れしたメンタリティーの子供はもはや「子供の姿をした大人」ではないのか? 読者や観客の子供は共感しないのではないか?
藤子・F・不二雄と現在の劇場版ドラえもんの制作サイドはそういう危惧を抱いて、あえてドラえもんの大冒険活劇を大人の鑑賞に堪えないようなものにしていると思います。
その反対で、大の大人であることが多い特撮ヒーローが、大きな力を持つ者としての責任を背負わされない虫のいい奴だったら。「大人の姿をした子供」になりかねないと思います。そんな大人は誰も憧れないし、格好悪いです。
だから、スーパー戦隊をはじめとする特撮ヒーローは大きな力を持つ者としての責任を背負うのだと私は思います。
小学生位の子役が特撮ヒーローを演じるなら、『ドラえもん』の大きな力に対する価値観も許されると思います。日本の特撮文化じゃ難しい所はあるんですかね〜。
その4が書けなくて困ってたんですが、aonaさんのコメントを読んで、頭の中が整理されたような。
つまり、物語には「憧憬型」と「共感型」の二種類があるわけです。最近の戦隊シリーズも、晩年の藤子・F・不二雄先生の作品も、どっちのタイプなのか分かりにくくなっていったという共通点があるのではないか。元々憧憬型だったのが共感型が入り込んできた戦隊と、その逆の藤子F先生、という違いはありますが。
藤子F先生はもう完全に共感型の物語作りをする人でしたが、その手法で宇宙を舞台に活躍する冒険物を描くのは、やっぱり無理だったのかなあ、とも。実際それをやったのが『21エモン』と『モジャ公』。いずれも打ち切り……。
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