『大戦隊ゴーグルファイブ』と全共闘

 『大戦隊ゴーグルファイブ』(1982年)はいろいろ変わった戦隊だが、一番変わっているのは、司令官の役をつとめるのが五人の小学生という点であろう。
 劇中でも一応理由が語られてはいるが、分かったような分からないような説明である。これはメイン脚本家の曽田博久氏が元全共闘の活動家であることを知っていると理解しやすい。
 普通の戦隊だと、司令が作戦を立てて指示を出し、戦士はそれに従って戦う。作戦を誤り失敗に終わることもあるが、その場合は司令の責任である。ところがゴーグルファイブの場合、司令の責任を追及することができない。小学生だから。ちょっと責めるとすぐに泣いたり拗ねたりする(実際第4話はそんな話だった)。つまり五人の戦士は、常に自主的な判断で行動し、戦うことが求められる。「自分は指示に従っただけ」という言い訳をしたくても、責任を引き受けてくれる上司がいないのである。
 それが一番端的に現れているのがヒロインである。普通の戦隊だったら、そんなのは女の子には危険だとか俺が一緒に行ってやるとか、仲間の男から絶対に言われるようなことでも、ミキは全然言われない。彼女は自分で勝手に作戦を立てて自分で勝手に敵に戦いをいどむ。みんな自主性で動くことになっているからだ。そのかわり、勝手に行動した結果ピンチになっても、仲間が助けに駆けつけて来るのを当てにすることはできない。
 要するにこれは組織ではない。「自由な個人の連帯」である。全共闘運動が当初めざしていたものがまさしくこれであり、曽田氏は自分が学生運動で挫折したのを、その後脚本家になって初めてテレビでメインライターを担当することになって、こんなところでリターン・マッチをやっていたのだ。ただ全共闘が、セクトの引き回しに対してなんら抗うすべを持たず敗北したように、地球の平和を守る五人の戦士が組織的に行動しないというのはやっぱり色々不自然なわけで、翌年の『科学戦隊ダイナマン』からは普通に司令官として大人の科学者がいて指示を下すようになる。
 桃園ミキがあれほど人気が高かったにもかかわらず、二番煎じを生まなかったのも納得がいく。それはあまりにも理想主義的なヒロインだったからだ(逆に言えば、現実的でないということ)。

 ところで全共闘の有名なフレーズ「連帯を求めて孤立を恐れず」は谷川雁の『工作者の死体に萌えるもの』という本が元ネタらしい。
 死体萌えってそんなに昔からあったのか。

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