オタクの旗は降ろせ! 非実在青少年規制問題について

 東京都の「青少年健全育成条例」改定案問題については竹熊健太郎氏のブログで知ったのだが、継続審議になったことは、とりあえず目出度いことではある。しかしそれはあまり知られないうちにコッソリ通してしまおうという敵のやり口に反発してこその世論の盛り上がりであり、また、今回は時間があまりにもないので小異を捨てて大同についたが反対運動の進め方には違和感を持っている、なんて言ってる人もいる。条文が拡大解釈されて言論の自由のない社会が到来するのでは、という恐怖心から反対運動に馳せ参じた人は多いだろうが、「でも何らかの規制は必要では?」と漠然と思っている人もやっぱり多いだろうし、そういう人たちを説得するような理論を、次に議会が開かれる六月までに構築できるのだろうか? 中には、説得どころか、そういう規制の必要を感じている人たちを上から目線で馬鹿にすることしか考えてない人のブログなんかもあって、そういうのを見るにつけ非常に不安になる。
 それはそうと、こういう動きが起こるたびに思う。いいかげんオタクの旗は降ろしたほうがいいのではないか。
 「オタク」というのはもともと蔑称である。それを逆手に利用し、オタクは素晴らしい、世界に誇る日本の文化だ、とアピールしてきたつもりが、世間様のほうはというと、一体どのような土壌があってこそのオタク文化が花開いているのかについて、全く理解なさっていないし、なさろうともしていない。有益なものも有害なものも含めて文化なのであり、有害なものだけ取り除いて有益なものだけ育てようとしても枯死するだけだ、ということが全然分かっていない。
 そういうことを今回の動きであらためて知らされた。
 二次元のキャラクター相手に恋をする、そんなことは普通のことである。すぐれた創作作品にはそれぐらいの力があって当然だ。ところがそれをわざわざ「オタク」だの「萌え」だのと、何か特殊な概念であるかのように命名し、その結果どうなったか。自分たちがすぐれた存在であるかのようにアピールしたつもりかもしれんが、世間様からは、ああいうのは特殊なメンタリティを持っている人間なのだ、というぐらいの認識しかされていない。
 特殊な人間だから規制したって構わない、と思われるのだ。
 弾圧の呼び水になっているとしか私には思えん。

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