連合赤軍事件から逃げたフェミニスト

連合赤軍の女兵士が夢見たもの

 ある人について書いた文章をサイトにUPして、ちょうど同じ頃にその人が死ぬというのは、単なる偶然といえども、いやーな気持ちになる。
 1982年の第一審の死刑判決自体は、現行の法体系からしてみれば無理のないところだとは思うが、問題は判決文だ。当時の左翼運動が孕んでいた問題点なんか全部無視して、事件の原因をすべて永田氏の個人的な資質に帰している。「女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味」という、そのあまりに差別的な文面に、左翼でもないのに抗議の声を上げる女性が出たほどだ。
 当時、女性活動家という存在自体が珍しかったわけではない。男の活動家の手助けをし、指示に従い自らも活動する者は、「美人闘士」としてマスコミなどでももてはやされたくらいだ。それが、リーダーになって男を指導するような「出すぎた」真似をすると叩かれる。国家権力・マスコミによる永田叩きには、左の陣営の中にさえ同調する人がいた。
 そういう構図は、今も昔もあまり変わらない。スーパー戦隊シリーズのヒロインがいくら活躍したところで、終盤のクライマックスに突入すると、たいてい男の指示に従って動くだけになる。なぜゴーグルピンクが例外的に男と対等の立場に立てたかというと、ゴーグルファイブが「組織」ではなく「自立した個人の集まり」だったからだ。そしてそんなものは実現不可能な理想だと、元全共闘の脚本家の曽田博久氏には、たぶん分かっていたのではないか。

 フェミニストの上野千鶴子氏は『現代思想』2004年6月号「女性革命兵士という問題系」によると、連合赤軍問題から目をそむけ逃げ続けてきた人らしい。
 この人の書くものにずっと不信感を抱いていた自分としては、すごく納得の行く話であった。

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