戦隊シリーズと流行の後追いと羞恥心
毎年九月・十月ごろになると、来年の戦隊のモチーフは何だろうかという話題が人々の口の端に上るようになる。そして毎年のように「今は○○が流行っているから○○に違いない」などと言うやつが盛んに出てくる(今年は「妖怪」)。
そういうの、みっともないとか恥ずかしいとかいう感覚は、もう昔のものなのだろうか。
スーパー戦隊のプロデューサーを15年間つとめた鈴木武幸氏は常々、戦隊シリーズが流行の後を追うのではなく、流行が戦隊シリーズの後を追うのだと言っていた。『妖怪ウォッチ』が流行っているのは、それ自体が優れた作品だからである。妖怪自体の人気が高まっているわけではない。戦隊もそれに便乗して妖怪モチーフを、などという発想自体、なさけないと思わないのか。
で、そういう人たちは、1982年の『大戦隊ゴーグルファイブ』もまた流行の後追いをしたと思いこんでいる。とんでもない話で、当時の新体操はオリンピック種目ですらなかったんだぞ。競技人口の推移の統計とかを持ってきて論理的な説得を試みたいが、なにしろ日本じゃ新体操というと体操競技の中の一部門みたいな扱いだから、正確な統計も入手するのが難しい。どうしたら分かってもらえるのか。
思いついたのがマンガである。
もし日本で新体操が人気があったなら、マンガに描かれたはずである。ネットで検索したところ、最も早い時期に描かれた新体操マンガは恐らく井上恵美子『キャンパスカルテット』(別冊少女コミック』掲載)であろう。体操から新体操へ転向したのは多分1982年の前半頃に当たるはず。
単に新体操が出てくるだけであれば『タッチ』が有名。南が新体操をやり始めるのが1983年春。1984年にはロサンゼルス・オリンピックで新体操が初採用され、山崎浩子が八位入賞。以後、新体操マンガも多く描かれ、『光の伝説』(1985年、マーガレット)のようなヒット作も出るようになる。
1982年『ゴーグルファイブ』の放映当時、私は新体操を知らなかったから、毎週オープニングに出る、桃園ミキのリボンの演技は、まるで妖精の舞いを見るかのようだった。これが流行の後追いだったら、神秘的な雰囲気を感じることもなかっただろう。あの頃の戦隊シリーズは、確かに流行の先を行っていた。
(2015年4月21日に大幅修正。赤石路代『サンシャインランナー』は新体操のマンガではありませんでした)
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Comments
新体操が当時の流行だったなら、新体操をアクションに取り入れることを検討するために国士舘大学の新体操部を見学しに行くなんてことはしないはずですからね。
ゴーグルファイブは、新体操アクションによって「色彩の豊かさで魅せる」という戦隊シリーズのコンセプトをより際立たせたアクションシーンを創り出すことに成功しましたから、鈴木Pの判断はまったく正しいものであったといえるでしょう。
そういえば翌年は「野球戦隊」でしたね。
なんでそれがボツになったのかを考えてみたら、やはり野球は人気の高いスポーツであり日本人には馴染みが深すぎて、どんなアレンジをしてもおかしくなってしまうという判断があったように思えます。
人気のあまり高くないスポーツであったからこそ、好き勝手にアレンジできたという面もあったでしょう。
もっとも、山崎浩子の人気もあって、人気が上向く途上であったというのも事実らしいのですが、そのへんはもっと詳しく調べてみる必要はあるかもしれません。
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