ミロのヴィーナスと『相棒』

 3月18日に放映されたテレビ朝日のドラマ『相棒』第13部の最終話が面白いことになっているらしい。『相棒』ファンが「こんな最終回ってあるか!」と悲憤慷慨している一方で、それを傍から見ている東映特撮ファンが
 「なんだ、いつもの東映か」

 もしミロのヴィーナスに両腕があったら、世界的な美術品ではなかったであろう、なんてことがよく言われるが、確かにそのとおりだと思う。ないからこそ「本当は両腕はどうだったのだろう」と見る者の想像力をかきたてる。しかしそれを勘違いして、なるほど芸術作品というのは完成度が低いほうが名作になるんだなと、最初からわざと完成度の低い作品を作ろうとする人も生じる。まあ今の東映がそうなんだが。だから、話の辻褄なんか無視して視聴者をアッと驚かせることが番組制作者としての使命だと思いこみ、しかし視聴者としては「またその手か」と驚きもしない。いわゆる「パターン破りのパターン化」というやつ。
 仮にミロのヴィーナスに両腕があったまま出土したとしても、やっぱりそれなりに高い評価を受ける美術品であったことには間違いない。きわめて緻密で精巧な出来ばえの作品が、九割だけ完成しているからこそ、残りの一割に対する想像力がかきたてられるのであって、粗雑な出来で九割の完成品なんか見て、誰が残りの一割を見たいなんて思うものか。
 しかしこういう、仮面ライダーの映画でさんざん使い古され見ている方も全然驚かなくなった手法を、いまさら一般向けドラマが後追いとは。昔は一般ドラマがジャリ番を差別していたが、今はもうどっちが上か分からんな。

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