「世代」を特権化したがる人たち

 「小谷野敦の本はなぜ売れるのか」()の補論。小谷野敦『ウルトラマンがいた時代』の終章の最後の一文より。

 小学生で七〇年代のウルトラマンに出会い、それから二十年ないし四十年を隔てて再び出会うということは、実に私の世代の特権的な体験だったのだ。
 言いたかったのは結局それかい。
 そのために丸々一冊の本を書いたとは、御苦労なことです。
 「特権的」、すなわち特別にいい思いをした、という意味で使っているんだろうけど、こういう「自分たちの世代は他の世代とは違って特別なんだ」ということをやたら言いたがる人たちに対しては、別に腹も立たない。かわいそうに思うだけ。
 去年同志を募って大川めぐみさんに会いに行った時のことである。どうせおっさんしか来ないだろうと思っていたら、ものすごく若い人が来ていたのには驚いた。というのは、最近の若いモンに彼女の魅力などどうせ分かるはずあるまい、とひそかに思っていたからである。態度には絶対に出さないようにしていたが、心の奥底ではそうだった。1980年代という、未来には希望があると誰もが屈託なく信じることのできた時代だったからこそ、彼女の魅力は光り輝いていたのだと思っていた。ところがその若者に聞いてみたら、最近DVDで見て虜になったという。さらに話を聞き出すと、ひょっとしたらこいつの桃園ミキ(大川めぐみ)に対する思い入れは、自分よりも上ではないかとすら思った。後生畏るべし。
 小谷野敦氏一人のことではなくて、ウルトラシリーズのファンには、リアルタイムで見たという事実をやたらと特権化したがる人達がいる。そういう人たちがマスメディア等で、自分たちこそファンの代表という顔をして、でかい声を上げている。そういう声に制作サイドが耳を傾けた時こそが、ウルトラシリーズの終わる時だろう。
 いずれにせよ今年もまた大川さんに会いに行くのが楽しみだ。今年はどんな人が来るのだろう。

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