戦隊にオーディションは必要か?(後編)

 ダイヤの場合は、磨く前に「これはダイヤの原石だ」ということくらいは分かっていなくてはならない。だから人間の場合でも、才能の有る無しを見極める、指導者の眼力なんてものが持てはやされたりする。しかしその「眼力」って、本当に存在するのだろうか?
 たとえばプロ野球では、毎年たくさんの新人選手が入団する。そしてそのほとんどが、何の実績も残すことなく数年後に退団する。ごく一部だけが一流選手への道を駆け上がり、そして一流選手になった後で、スカウトや入団当時のコーチが「一目見た時から、こいつはダイヤの原石だということが分かっていました」なんてことを言う。それだけの話じゃないのか?
 磨く前に、才能があるかないかが分かるのであれば、なんで毎年あんなに大量の選手を入団させて退団させるなどという、非効率なことをやる必要があるのだろうか。マニュアル化してもっと効率よくできるはずではないのか(いよいよ内田樹氏みたいになってきた)。
 戦隊に話を戻すと、まあ確かに基礎も全然出来てない人くらいの見分けはつくから、オーディションでの篩い落としに全然意味がないわけではない。十人よりも二十人、三十人の中から選ぶほうがいいに決まっている。しかし何百人ともなると、果たして意味があるのかどうか。
 「眼力」などという不確かなものを当てにして、キャラクターに合わせて役者を採用し指導するよりも、むしろ、役者に合わせてキャラクターを作るほうが確実だ。つまり、数話ぶんの撮影が終わった時点で、こいつは二枚目の役をやらせるつもりで採った、しかし三枚目の役をやらせたほうが、この役者の魅力はより引き出せる、そのことに気がついた。その場合に監督や脚本家が、柔軟な対応ができるのかどうか。できないのであれば、オーディションの倍率の高さを誇るなど全くの無意味な行為といえる。それは単に力を入れるべきところで入れず、入れても意味のないところで入れてるだけだ。

 そういうふうに考えると、1982年の『大戦隊ゴーグルファイブ』は撮影開始直後にトラブルが発生して、ゴーグルピンク・桃園ミキ役に予定していた女優が急遽降り、やむを得ず慌ただしい雰囲気の中で別の人を起用することが決まったわけだけど、その結果としてそれが大人気となり、戦隊ヒロインの概念を一変させてしまったというのも、偶然がもたらした奇跡とか天の配剤とかというものではなく、むしろ順当な結果だったのではなかろうか、という気がしてならない。

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