CG特撮のどこがいけないのか
現在も(戦隊=引用者注)シリーズは楽しんで観ていますよ。「オプティカルの合成カットは1話につき3箇所まで」みたいな制約があった当時からすれば、今の画面は夢のような出来だと思います。『大戦隊ゴーグルファイブ』のDVDの第五巻収録の解説書には、スタッフの一員であった久保宗雄氏のコメントが載っている。この「今の画面」というのは、コンピュータ・グラフィックス(CG)に代表される、進化した現在の映像技術を使った画面のことを言っているのであろう。今の戦隊シリーズとは何の関わりもない久保氏が何を考えようが自由だが、現在の戦隊シリーズのスタッフの人たちまで、まさかこんな「夢のような出来」などと考えたりしているわけではあるまいな。
いくら映像技術が進化したところで、それを使うのは人間である。ビルが爆発炎上して火の手があがる、破片が舞う、海での戦闘での水しぶき。空気や水の表現には、撮影する人間のセンスが問われる。しかしCGという文明の利器のおかげで、映像センスがゼロの人間でもそれなりの絵が撮れるようになった。「こんな高い技術を使って、こんな低いセンスの絵を撮るとは!」というギャップに視聴者はうんざりするのだ。
今の作品に比べたら、確かに昔は貧弱な技術しかなかったし、ひどい映像も多かった。しかし見ているほうとしては「そういうもの」だと思ってから、別にひっかかりも感じなかった。ひどい絵については脳内で補えばいいのである。CGを使った画面はなまじ絵が小ぎれいなだけ、視聴者に脳内補完を許さない。イライラするだけだ。
古参の特撮ファンにはCGを嫌っている人が多い。しかし彼らだって、一流のセンスを持った人間がCGを使ってすばらしい映像を見せてくれれば何の文句もないはずだ。三流のセンスしか持ってない人間がCGを使ってそこそこの絵を撮り、自分では一流の映像を作った気でいる。それが問題なのだ。
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