『仮面ライダークウガ』は過去の作品である(その3)
(承前)映画『七人の侍』は、侍たちが村を去る場面で幕を閉じる。そこには、彼らに手を振って見送ったりする村人は一人もいない。
田植えで忙しいからである。
人々を守るために命がけで戦うヒーローに対して、人々が抱く感謝の念をあまりくどくどと描かない、というのはヒーロー物の伝統である。薄情に見えることさえある。しかしそれにはちゃんとした理由があるのだ。
一般の人々にとっては、超越的な力の持ち主という点では、ヒーローも敵も同じなのである。自分たちとは異なる世界の住人なのだ。今はたまたま味方である者が、明日には敵に変わらないという保証はない。ヒーローに対して一般人は敬意や感謝の念と同時に、恐怖心もまた抱いている。ヒーロー番組にとってこのジレンマは昔からずっと議論され続けてきたものであって、たとえば『伊上勝評伝』という本にも井上敏樹氏が似たような内容の文章を寄せている。
理不尽と言えば理不尽である。ヒーローにしてみれば、自分のことを心から信頼し尊敬してくれるわけでもない人々を守るために、命をかけて戦わねばならないのだから。敵を全滅させ人々が笑顔を取り戻した瞬間、自分は不要の存在へと転落する。そして、そんな日が一日でも早く来ることを願って、ヒーローたちは戦い続ける。
だから、一般人から何の疑念も持たれることなく、心からの信頼を寄せられながら戦うヒーローも見てみたい、という欲求が出てくるのも当然のことであろう。それのみならず、武器を開発したり古代言語を解読したり健康診断をしてくれたり、ヒーローが大勢の人々の協力を得ながら戦うのであれば言うことなしだ。しかし、それを「リアル」と呼んでいいのであろうか。「第4号」がどんどん力をつけていくことに、他の人達は脅威を感じることはなかったのだろうか?
正義のためにふるう暴力も、暴力の一種である。このテーマについて、昭和の仮面ライダーやスーパー戦隊が真剣に格闘してきたとは言いがたい。スポンサーやテレビ局がいい顔をしないからである。かといって、おろそかに扱ってきたわけでもない。深入りしない、というのも一つのやり方である。誠実な態度とも言える。深入りしたあげく安直な結末をつけるのに比べれば。(続く)
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Comments
こんばんちわaonaです〜。
身も蓋もないこと言っちゃうと、超越的な力の持ち主なんて現実に存在しないのは当たり前なんですよねぇ。ショッカーみたいな超越的な悪役はどんなにリアリティあっても現実には存在しません。当然それに立ち向かうヒーローなんてありえないのが現実です。
そうなると、ヒーローが一般人から受ける理不尽な差別とヒーローの正義&戦いのジレンマというもの自体が妄想の夢物語でしかないと私は思います〜。
ヒーローは差別される者の象徴と言う人もいたような気がします。でも現実のイスラエル等を見ると、私はそうは思えないんですよね。
ヒーローのジレンマには「視聴者が見たいものか製作者が見せたいものか」という問題も、のしかかっていそうですね〜。
ちなみに私は「私が見たいもの」優先で作品を見たいと思ってます。
バランスの問題じゃないですか。
『メガレンジャー』の終盤みたいな、大衆から迫害されるヒーローなんて私もあまり見たいとは思わないし(そういえばこれも高寺Pでしたっけ)。
フィクションではなく現実では、たとえば自分の国の軍隊に対して、国民が好意と反感の混ざった感情を抱く、というのはどこの国でも割と普通にありそうな話ではないでしょうか。
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