「イスラム国」の現実感のなさ、特撮ヒーローの困難

 いったいこの現実感のなさはなんだろうか。
 「イスラム国」によって日本人二人が拘束されたという報道が流されたのが1月20日。それを受けて、その「イスラム国」から送られた画像をもとにコラージュ画像が大量に作成され、ツイッターを通じて世界中にばらまかれている、などということが海外のマスコミなどでも紹介されているらしい。「日本のシャルリー」たちは、日本人には脅しなど通用しないということをクソコラでテロリストどもに知らしめた、とかなんとか好意的に扱った所もあるそうだが、それは結果論であって、単に多くの日本人は、この事件に現実感を感じていない、それだけの話だ。
 これを「不謹慎」「平和ボケ」と批判して済むような話とも思えない。だいたい総理大臣にしてからが「テロには屈しない」と言ってみたり「人命第一」と言ってみたり。どっちなんだよ。口先だけは勇ましいが、具体的にどんな解決のイメージを持っているのか全然判然としないのは、政府を追及する野党やメディアも同じだ。もう日本は「イスラム国」から堂々と敵国認定されたわけで、「金だけ出す」などという従来のやり方を今後とも続けていけるとは思えない。事件が終わった後も、今後日本の外交はどうするのか。対米協調か独自外交か、決断を迫られているはずだ。それなのに、どいつもこいつも5800キロ離れた遠い外国の話というイメージしか持っていないように思える。いや、こんなこと書いてる私自身、頭で理解しているだけで、全然実感として感じることができていないから、偉そうなこと言う資格もないが。
 日本でずっと特撮ヒーロー番組が作られ続けてきたのは、正義と平和を愛する人々の気持ちをずっとすくい続けてきたからだ。「人類絶滅を企む悪の組織」も、冷戦時代の国際情勢の反映であるということは、さんざん書いてきた。冷戦が終わってからは、新しい時代に即した「正義と悪」を描こうという挑戦がずっとなされ続けてきたはずだった。今の戦隊物は、正義のためと一応口では言いながら、もうスポーツかゲームのような感覚でヒーローは敵と戦っているようにしか私には見えない――などと書いたら「懐古厨死ね」と言われるに決まっているから今まで控えていたのだが、もう構わんだろ。そういう時代だ。

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