これが平成ライダーのスタッフの本音なのか

語ろう!555・剣・響鬼

(フォーゼの時は)主人公がリーゼントってだけで、相当抗議の嵐が来ちゃったらしくて、それが恐怖症になっちゃったみたいなんですよ。だから抗議されそうなことは先回りしてやめるっていうのは徹底してました。(『語ろう!555・剣・響鬼』から、虚淵玄氏の発言より)
 『語ろう!クウガ・アギト・龍騎』を読んだ時も思ったが、このレッカ社のインタビュアーって実はものすごく優秀なのではあるまいか。平成仮面ライダーのスタッフというのは、どいつもこいつも手柄は自分のもの、失敗したら人のせい、と思っているみたいで、そのような隠された本音をぐいぐいと暴く手腕にはほれぼれする。ぜひ戦隊シリーズのほうにも来てほしい。
 虚淵玄氏にとって『鎧武』は会心の作ではなかったことは確実なようだ。しかしそれは自分のせいではなく、東映がダメだからであり、自分はその東映の方針に従って執筆を行なっただけだという主張をすることによって自分の名誉は守られると思っているらしい。たとえそれが本当でも、視聴者にとってはどうでもいい話だ。問題は完成した作品が面白いか面白くないかだけである。そしてスタッフ一同が面白い作品を作ろうと心を一つにしていない現場で作られた作品が、視聴者にとって面白いものであるわけがない。私自身は『仮面ライダー鎧武』は見たことはないし、一生見る気もないのだけれど。

 平山亨『泣き虫プロデューサーの遺言状』という本にも書いてあったが、『仮面ライダーX』で敵の組織に「G.O.D.」というのを出したら宗教者から抗議が来たなんてこともあったらしい。訳の分からないクレーマーというのは昔からいた。その上、ちょっと暴力的な描写を入れればたちまち東映やテレビ局の上層部から文句が来る。そういうのと戦いながら、仮面ライダーやスーパー戦隊はずっと作られ続けてきた。抗議に屈する時もあれば、はねつける時もあった。「おもしろい番組にするためには、この描写は絶対に必要なのです」と断固主張することによって。抗議されそうなことには先回りして全部やめてしまおうというのが今の東映の方針であるならば、そうやって作られたものがつまらない作品であることは、見なくても断言できる。

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