勧善懲悪で何が悪いのか?(前編)

 戦隊シリーズのファンが、ウルトラマンや仮面ライダーのファンと異なっている最大の点は、勧善懲悪をくだらないものと決めつける風潮が希薄なことではないかと思う。
 ウルトラシリーズの名作エピソードを挙げろと言われたら、大抵の人は「故郷は地球」「ノンマルトの使者」「怪獣使いと少年」あたりを挙げる。理由は「勧善懲悪でないから」。勧善懲悪はくだらないもの、劣ったものであるというのが説明不要の前提みたいな扱いになっている。
 だったら、『ウルトラマン』の全話が「故郷は地球」みたいな話だったら、もっと名作になっていただろうか? んなわけないだろう。
 仮面ライダーシリーズにおける「正義」に関して平山亨氏が二枚舌を駆使していることについては、このブログでも何度も触れたから繰り返さない。
 だいたい、勧善懲悪というのは本当にくだらないものなのだろうか。
 そしてそんなくだらないものであるなら、なぜこれほどまでに人気があるのだろうか。

 山の中で迷子になったとする。
 山と行っても道もなく、原生林の茂った人跡未踏の地である。地図はない。視界も悪い。ただし、コンパスだけはある。そういう状況に陥ったと想像してみよう。自分ならどうするだろうか。
 闇雲に歩きまわっても麓にたどりつける可能性は低い。こういう時に誰もが考えるのは、北なら北と方向を決めて、一方向に向かって歩き続けることである。そうすれば必ずいつかは山から降りられるはずだ。ただ、その行く手には崖や沼があり、進めなくなるかもしれない。崖はよじ登り、沼は泳いで渡り、あくまでも一直線に突き進むというのも一つのやり方ではあるが、途中でどうしても突破できずに力尽きて倒れる可能性も大きい。やはり険しい道は避けて進むべきではなかろうか。ただしあまりにも歩きやすい道ばかりを選んで歩いていると、同じ所をぐるぐる回っていつまでたっても脱出できない可能性も考える必要が出てくる。(続く)

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