頭が悪いのが右翼、頭がおかしいのが左翼

 右翼と左翼の区別のつけ方、というのでネットで検索していたら、こういうのが出てきて、なるほど言い得て妙だと思った。ただこれでは余りにも簡潔過ぎて、理解していない人も多いようなので、ここで解説役を買って出る。
 科学技術は進歩する。産業や経済の発展とともに社会の構造も時とともに変化していく。ところが人間の意識というものは、それほどの速さでは変化しない。伝統とか文化といったものに束縛される。そこで齟齬ができる。これを問題視するのは右翼も左翼も同じである。
 この問題は、一挙に解決する手段はない。一つ一つの問題に対して根気よく取り組んでいくしかないのである。一挙的な解決法に飛びつこうとする人が、考えを極端に走らせる。一つは、歴史や伝統文化なんか完全に無視して、社会の変化に応じて人間の意識もどんどん変えていくべきだとするもの。もう一つは、産業や経済の発展なんか無視して、人間の意識は古いままであるべきとするもの。前者が左翼に後者が右翼になる。
 社会改革のプランというのは、どんなに緻密な理論に基いて組み立てたつもりであっても、地に足のつかない空理空論へと飛躍することがある。左翼の場合、そうなった際にブレーキとなるものがない。「そんな改革、常識的に考えてうまくいくわけないだろ」という批判の声に対しては、「そういう常識こそ変えなければならないのだ」という返答しか返ってこないからである。これが「頭がおかしいのが左翼」である。一方、右翼の提示する社会改革のプランには、新しい発想や飛躍がまったく盛り込まれない。ただ昔はよかったと言うだけで、我々の生活実感から一歩も抜けだそうとしない。つまり「頭が悪いのが右翼」である。
 ネットでは、自分と異なる考えを持った人間を見ればすぐにウヨだのサヨだの決めつけて叩きまくっている人がいっぱいいる。叩くのは結構だが、その前に深呼吸して、その人が過去全肯定論者か未来全肯定論者か程度のことは見極めてからにすべきではなかろうか。そうすれば少しは生産的な議論もできるはずだ。

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