特撮ヒーローへの「誇りの強要」(前編)

鈴木美潮のdonna 「赤祭」に戦隊の歴史支えた20人、「ムネアツ」超える感動!(2015年9月4日)

 まして、ヒーロー番組が「ジャリ番」と呼ばれ、今よりその地位がずっと低かった時代である。きっと、皆さんが胸を張ってヒーローを演じたことを語り出すまでには、長い時間が必要だったと思う。
 しつこいようだけど、鈴木美潮という人の、特撮ヒーロー番組に出た人は、その出演歴を誇りに思うはずである、思わなければならない、という決めつけは、一体どこに由来するのだろうか。この前出た本でもそうだったが。
 私も以前、元特撮ヒーローの俳優がやっている店に行ったことがある。そのことを別に売りにしているわけでもなく、かといって隠しているわけでもない店である。ファンだと言って話しかけたら、普通に喜んでくれた。特撮ヒーローを演じたことを、特に誇らしく思っているわけでもないが、かといって恥と思っているわけでもない。しかし若いころの辛くも楽しい思い出となれば自然に話も弾みがつく。たっぷり話ができて満足だった。
 こういうものだろうと思う。
 特撮以外の元俳優でも、元スポーツ選手でも元マンガ家でも、事情はみんな同じようなものではないのか。
 ネット上では、ヒーロー番組に出た俳優は、ヒーロー番組に出た俳優であることを誇りに思うか恥と思うかのどちらかしかない、と決めつけるような風潮が存在しているようで、イベントに出てこなければ「黒歴史にしている」と速攻でレッテル貼りだ。実際に人とふれあったこともなく、ネット上で人の品定めばかりしている人が、自分の頭で物を考える術をなくしたとしても不思議はないが、しかし鈴木氏は長年イベントを開催し、大勢の特撮番組のスタッフやキャストと交流を持っている人である。それがなんでこういうことになるのだろうか。それとも読売新聞の政治部に入って官邸や自民党の担当に配属されたら、こんなふうになるのだろうか。
 コナン・ドイルがシャーロック・ホームズを嫌っていたというのは有名な話ではあるが、しかしそんな事実はホームズファンにとってはどうでもいいことである。同じことはモンゴメリの『赤毛のアン』についても言える。(続く)

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