マニュアルで創作は可能か

沼田やすひろ
沼田やすひろ・金子満『「おもしろい」映画と「つまらない」映画の見分け方』『「おもしろい」アニメと「つまらない」アニメの見分け方』

 5月5日のエントリのコメント欄で勧められた本をようやく読んだ。確かに創作の理論書としては優れている。映画とか小説とかマンガとかを見て「つまらないなあ、どうしてこんなにつまらないのだろう」と思った時、この本を読むとよい。「13フェイズ構造」に照らし合わせてみて、なるほど第7フェイズが弱いからつまらないのだなあ、と納得できる。そういう本である。
 しかしこのような優れた理論書が発売されている一方で、どうして巷間にはつまらない作品があふれているのだろうか。映画を作るのであれば、まず脚本が上がった段階で、面白い作品になりそうかならなさそうか、この理論を使うことによって判定できるはずだ。にもかかわらず、何億という製作費をかけた、面白くもなんともない作品が毎日生み出されているのは、どういうわけなのだろう。不思議だ。
 スーパー戦隊シリーズの場合、つまらない作品は13フェイズのうちどれに問題があるかというと、断然第7フェイズ「転換」である。戦隊シリーズの場合、ある日道を歩いていたら突然声をかけられて秘密基地に連れて行かれ、戦士に任命された、というケースが多い。まあ、最初はだいたい運命の渦に巻き込まれるような形で戦士になる。そして途中で転機が訪れ、平和と正義を守る戦士としての使命に目覚め、自発的な意志で戦うことを決意する。それが第7フェイズである。そこをきちんと描かなければ、主人公は人から戦えと言われたから戦っているだけでしかなく、そんな主体性のない存在に視聴者が満足できるわけがない。(そういう意味で、『鳥人戦隊ジェットマン』なんてのは話の構造自体はものすごく王道である。)
 どうしてこの程度のことがうまく出来ないのだろうか。
 創作という神聖な行為は、「これを表現したい」という、本当に心の底から沸き上がってくる熱情に突き動かされてこそ出来上がるものであって、マニュアル化できるようなものではない、という思い込みでもあるのだろうか。しかしそういうのは歴史に残る名作を生み出すような人が言うことだ。今のニチアサにそんなもん求めてる人なんかいるのだろうか?

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